ハノイ&プノンペン / Hanoi&PhnonPenh Part.6 (トゥール・スレン)

ベランダで朝食 [by iPhone4]

朝起きて朝食。ベランダが付いている部屋なので、無理やり丸テーブルを外に出してひとりでバカンス感を演出してみた。内臓がたくさん入ったスペシャルヌードルはベトナム風。チェックアウトまで少し時間があるため、近くを散策することにした。最終目的のトゥール・スレンはその後。


寺院 [by iPhone4]
独立記念塔 [by iPhone4]

まずはホテルから最も近い独立記念塔を目指した。途中、タイ風の寺院がちらほら。独立記念塔は思ったより小さいのに加え、改修中のため全く見応えがなかった。この独立記念塔建設の後にベトナム戦争の巻き添えを食らい、内乱と空爆に苛まれることを考えると、何だか呪わしい建物に見えてくる。


ヤシの木 [by iPhone4]
観覧車 [by iPhone4]
トンレサップ川 [by iPhone4]

続いて王宮へ行くもパッとしないので、そのままトンレサップ川に向かった。川の付近は大きなホテルが多く、完全に外国人向け。川に架かる橋がまたしても改修中で消化不良感が否めない。この時点で僕は既に小一時間ほど照りつける太陽に曝されており、タオルはびしょ濡れ。


アパート [by iPhone4]
道 [by iPhone4]
洗濯物 [by iPhone4]
道 [by iPhone4]
道 [by iPhone4]

帰りは小路を通ってホテルに戻ることに。プノンペン住民が生活する区域はゴミが散乱し、お世辞にもきれいとは言えない。プノンペンではバイタクやシクロ以外に声をかけられることはなく、地元住民が僕に向ける視線は若干冷ややか。シェムリアップのように観光業を生業としていないので当然と言えば当然かもしれない。


トゥール・スレン [by iPhone4]
トゥール・スレン [by iPhone4]

ホテルに戻って急いでチェックアウトした後は、今回の旅行の一番の目的であるトゥール・スレン虐殺博物館へ。元々学校だったこの収容所では、3年弱で2万もの人々がクメールルージュに拷問され殺された。生きて帰れた人間はたったの8人で、収容所というよりは虐殺所と言った方が相応しい。


お墓 [by iPhone4]

2ドルを払って中に入ると、まず見えるのはお墓。このお墓は、この施設で最初に発見された犠牲者のためのもの。ベトナム軍がクメールルージュを追放した時に初めて、トゥール・スレンはその存在を諸外国に知られることになった。国内でもその性質上極秘とされており、一部の幹部は今もこの収容所の存在自体を否定している。


拷問に使われたベッド [by iPhone4]
血痕 [by iPhone4]

まずA棟に入った。何もない部屋には金属のベッドと拘束具。床には血痕と思しきものがこびり付いていて生々しい。この校舎で無実の人々がありもしない事実を自白するまで拷問され、自白が済めば殺されていった。クメールルージュは、革命成功後に経済が立ちいかないのは反革命分子がいるからだと考えていた。だから、彼らは民衆の中にいる隠れた反革命分子を洗い出すために、自白や密告を必要としていた。例えそれが嘘の供述であろうとも。


吊り台 [by iPhone4]

外に出ると体育で使いそうな大きな木の吊り台が見える。クメールルージュはこれを改悪し拷問器具にした。人々はこの吊り台に吊るされ、自白するまで地面に叩きつけられた。もし気を失えば、手前の汚水の入った甕に頭から沈められ再び転落地獄。彼らが助かる道は自白以外になかった。もちろんこの場合の「助かる道」とは処刑を意味する。反革命分子である旨の調書が取れれば、クメールルージュにとってその人間はもう用済みなのだ。


B棟 [by iPhone4]
犠牲者の写真 [by iPhone4]

B棟にはナンバー入りの犠牲者たちの写真。ここで最初に写真を撮られた人々が次に写真を撮られる機会があるとすれば、それは殺された後。この写真のひとりひとりに思い出があり、家族があり、友人があるわけで、その悲しみの総量は計り知れない。ここでの死はベトナムの愛国者たちのような名誉ある死ではない。それはある日突然連れ去られ、訳も分からず拷問され殺される非業の死。


有刺鉄線 [by iPhone4]
独房 [by iPhone4]
独房 [by iPhone4]

次の棟にはレンガ製と木製の独房がある。人々はここで足枷をはめられ幽閉された。こんな狭いところに閉じ込められて、日々阿鼻叫喚の叫び声を聞かなければならない絶望感は想像できない。僕なら真っ先に自殺を思いつくが、何よりも自白が欲しいクメールルージュは囚人の自殺を防ぐために建物を有刺鉄線で覆っていた。


水責めの器具 [by iPhone4]
水責めの器具 [by iPhone4]

最後のD棟には拷問器具が展示されている。趣味のいい展示物とはとても言えないが、実際にこの器具で人々が拷問された以上、博物館として展示するのが義務だろう。写真の端に見える拷問風景の絵がおぞましかった。この絵は数少ないトゥールスレンの生き残りであるヴァン・ナット氏が描いたもの。


椰子の木と空 [by iPhone4]

一通り収容所を見た後は身も心もからからになった。そして、飲み物を買ってベンチに腰を下ろして一服。2万人も死んだこの場所から見える景色は、殊のほか素晴らしかった。今にも落ちてきそうな雲に終わらない空。椰子の木は誇らしげに天に伸び、花は負けじと華麗に咲きこぼれていた。生命は生きているからこその生命であり、終わってしまえばもはや何者でもない。人間の尊厳などここでは何の意味も成さない。虐殺が続いた3年間、カンボジアの空は今日と同じようにずっと美しかったことだろう。


虐殺博物館を出てホテルに戻った。途中お腹が減って仕方ないのでカフェ風のレストランで食事。ホテルにタクシーを待たせているので、3分で胃の中に流し込みどうにか間に合った。タクシーの後部座席から外を眺めつつ、プノンペンとお別れ。たった1泊とは言え、僕にとってかけがえのない経験になった。唯一悔やまれるのは、翌日お腹を壊したことだけ。

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