白虎隊の丘で立ち尽くす


一服したあとは、白虎隊記念館 を目指して徒歩移動。バスが全然来ないので、そもそも歩く以外の選択肢がない。20分ほど歩いて近くにくると、周囲はちょっとした門前町のようになっていた。
通りの露店で後輩がおすすめしていた「あわまんじゅう」を偶然発見。せっかくなので一つ買ってみた。プチプチした粟生地がなかなか斬新。ちなみに、ここは白虎隊の死地でもあるため、食べ歩きは現金 とのこと。

白虎隊記念館は、白虎隊や戊辰戦争に関する資料を集めた私設資料館。白虎隊士の遺品や書簡、当時の写真などが展示されていて、会津側から見た幕末史をかなり色濃く感じられる場所だ。
館内はそこまで広くない。しかし、その限られた空間に資料がぎっしり詰め込まれていて、熱量はかなり高い。





記念館を出て階段を上がると、白虎隊士たちが自害した場所がある。高校生くらいの年齢の少年たち20人が、ここで自ら体に刃物を突き立てた。そう考えると、さすがに背筋が寒くなる。
この場所からは、若松の街並みを一望できる。炎上する鶴ヶ城を見たと誤認し、もはやこれまでと思った彼らも、きっと同じ景色を見ていたのだろう。
ところで、彼らのように忠節のために集団で自決するというのは、日本以外ではあまり例がないらしい。こういう極端な出来事に出会うと、良くも悪くも日本人の精神性を考えてしまう。
寝落ち確定の会津ナイト

予定していた観光をきっちり回れたので、最後は駅前で見つけたスーパー銭湯へ。
残念ながら露天風呂は期間外で入れなかったが、薬湯や炭酸泉もあり十分満足できた。今日はとにかく歩き続けた一日だったので、湯に浸かって足の疲れがかなり取れたと思う。


風呂上がりは、そのまま近場で夕食探し。見つけたのが「作蔵」というローカル居酒屋だった。入ってみるとかなりの人気店らしく、店員さんは完全にてんてこ舞い状態。1席空いていたのはラッキーだった。
頼んだのは日本酒の飲み比べセットに、名物の馬刺し、そしてニシン山椒。土地の日本酒を飲んで、土地の名物をつまむのは旅の醍醐味。料理も外れなしで、これだけ食べ飲みして3,600円はかなりお得だった。


ほろ酔いになると人間は判断力と胃袋が緩む。そして、明日行こうと思っていた喜多方ラーメン屋「来夢」に突撃してしまった。
カウンター席に座って頼んだのはチャーシュー麺と餃子で、どう考えても腹十分目。最近は“ちゃん系”ラーメンが流行っているが、こういう淡麗系は原点に戻ったような安心感がある。
ホテルに戻ったあとは、写真整理やら調べ物やらを色々やるつもりだった。しかし気づけば、ベッドの上で午前2時。スマホの歩数計を見ると
──なんと28,000歩
日本酒のせいも多少はあるだろう。ただ、この歩数を見た瞬間、これは寝落ちするなと妙に納得してしまった。
会津の朝はラーメンから


翌日は猪苗代湖に寄ってから帰る予定だった。ところが 外は強風地獄で電車の運休まで発生している。
どうしたものかとしばらく考えた結果、とりあえず朝からラーメンを食べに行くことにした。嘘か本当か知らないが、会津では朝ラー文化が普通らしい。
向かったのは隣町の七日町にある「うえんで」。朝9時過ぎに店へ着くと、すでに行列。会津人朝ラー説は本当だった。
30分ほど待って店内に入って頼んだのは、山塩チャーシュー麺。これがおいいし。澄み切ったスープにはホタテの出汁も効いていて、塩味なのに妙に奥行きがある。
気づけば、スープをほとんど飲み干していた。健康診断のことは、この瞬間だけ忘れることにする。
本当は、少し離れた坂内食堂の本店へ行こうと思っていた。ただ、この一杯を食べるとむしろここで正解だったかもと普通に思ってしまった。
七日町、大正ロマンが残る町




食後は、そのまま七日町をぶらぶら歩くことにした。
午前中だったので、まだ開いていない店も多い。ただ、通りには大正ロマンを思わせる木造建築が並び、写真好きとしてはかなり楽しいエリアだった。
古い看板や渋い外壁を見るたびに立ち止まってしまう。こういう町は、目的地より“歩いている時間”そのものが観光になる。
途中には、野口英世や新選組に関する博物館もあった。今回は時間の都合で入れなかったが、会津は本当に歴史ネタの密度が高い。
気づけば、「次はここをじっくり回る旅でもいいな」と考えていた。旅行というより、再訪の理由を増やして帰る作業に近い。

七日町駅に着くと、ちょうど会津若松行きの電車が到着。こういうタイミングの良さがあると、旅に少しだけ好かれている気分になる。
結局、今回は白虎隊や戊辰戦争を中心に回ったが、七日町だけでもまだ掘れる場所はかなり多そうだ。
次に来る時は、もっと時間を取って、この町をゆっくり歩いてみたい。
地方における移動の限界問題

会津若松駅に戻ると、まず気になるのは電車の運休状況。駅員さんに聞いてみた。
ところが返ってきたのは、「一部が運休です」という、ネットでも見られるレベルの情報だけだった。
こちらとしては、「どこが」「いつ」「どう危ないのか」を知りたいのだが、どうにも要領を得ない。情報社会で“中身のない案内”を受けると、逆に記憶に残る。
改札前にはホワイトボードが置かれていて、そこを見ると、次に乗る予定だった電車がしっかり運休になっていた。
結局、仕方なくお土産を買ったり、バスターミナル横のカフェで時間を潰したりして過ごす。
しかし、これが見事に裏目に出る。出発10分前にホームへ行くと、電車はすでに満席だった。
結局、行きと同じく1時間以上の立ち乗り。会津旅行の最後に待っていたのは、まさかの脚力耐久イベントである。
こういう時、地方都市はやはり車社会なのだと痛感する。電車が一本ズレるだけで、行動全体がかなり制限されてしまう。
ここまで来ると、もう認めざるを得ない。そろそろペーパードライバー講習を受ける時が来てしまったのかもしれない。
赤べこの追憶


これにて、会津旅行は終了。本筋とは少しズレるのだが、会津若松は とにかく赤べこ推しがすごい。駅でも土産屋でも、気づけばあの赤い牛がこちらを見ている。
そして不思議なことに、何度も見ているとだんだん愛着が湧いてくる。そもそも、なぜ首を動かそうと思った分からないし、あの脱力したデザインは 現代人が狙って作ろうとしても絶対できない 気がする。
そういえば、小さい頃に家にも赤べこがあった。首を振るのが面白くて触りまくって、最終的に首を骨折させた記憶がある。
会津絵もそうだが、会津という土地は独特の芸術感覚を持っている気がする。素朴で温かみがあり妙にクセになる。
そして、それは歴史にも同じことが言える。
今回の旅行、結果的にはかなりの割合がお墓参りだった。しかし、ここまで敗者の歴史にドラマがある土地も珍しい。
しかも、新選組も野口英世も、少年時代の自分にかなり影響を与えた存在だったりする。気づけば、子供の頃に憧れていたものを再確認する旅にもなっていた。
独自の歴史と感性を持った土地は、これから文化的に大きな可能性があると思う。というわけで、これでまた会津再訪が約束されてしまった。旅というのは、帰る頃に次の理由を作り始めるから困る。