
中国の西部で憔悴しきった僕を蘇らせたのは、突如眼前に現れた砂漠だった。驚いたことに、ここ敦煌にはタクシーでものの10分ほどの場所に砂漠が存在する。こんな光景は日本では絶対に見れない。今までのトラブルをすっかり忘れ、僕は自分がシルクロードの旅の途上にいることに飛び跳ねたいほどの興奮と感動を覚えた。



初めて踏みしめる砂漠の砂は、靴が吸い取られるほどに柔らかかった。僕と台湾人男性は、目の前の絶景にしばし言葉を失い、思い出したようにお互いの自己紹介をした。彼の名前は曹さん。僕がカトウと言うと、曹さんはパンフレットに「かと」とたどたどしい平仮名を書いた。「日本風の教育」を受けただけあって、平仮名は大体書くことが出来るらしい。





この砂漠の中には、月牙泉という小さな湖と寺がセットになった場所がある。個人的には取って付けたような寺に興味はなかったが、曹さんが歴史好きなようなので付き合うことに。建物は唐時代の影響を感じる作りで、日本人の僕には親しみが持てた。よそ見をしながら寺の中を歩いていると、近くにベンチでぐっすり眠るネコを発見。一体、このネコはここで何を食べて生きているのだろう。万国共通のネコの寝姿はやはりかわいらしい。



一通り寺を見て、僕は曹さんに山に登りたいと言った。曹さんは自分はもう年だからいいと断ったが、僕が登ることを強く勧めてくれた。ということで、ここで曹さんとは別行動。明日朝6時に待ち合わせることを約束して、彼は去っていった。
ラクダを横目に見つつ、どこから登ろうかと思案。本当はラクダに乗りたかったのだが、600元しかないことを考えると節制するに越したことはない。僕はラクダの写真を撮って満足することにした。ラクダは近くで見ると非常にまぬけな顔をしていて、ゆるキャラに近い癒し系のオーラを放っていた。ラクダのゆっくりした歩みを見て、これが砂漠の速度なのだと実感した。




砂の坂道は思った以上に苦しかった。砂避けのために両足にレンタルの布袋を履いていたのだが、足が砂に取られてどんどん重くなっていく。そして、心臓の動悸が激しくなるにつれ感じる激しい喉の乾き。僕は万里の長城に行った時の地獄を思い出した。途中で水も切れ、山の中腹で休憩。布袋は邪魔にしかならないと悟って、ここで裸足になった。
裸足になると、段違いに登りやすい。きゃっきゃと喚きながら四つん這いで進む子供たちを見ながら、一歩一歩噛みしめて歩を進めた。程よい高さまで登った時には、ちょうど夕日が遠くの山に沈む直前だった。
砂漠は人の心を空っぽにする力を持っている。一面に広がる黄褐色の世界は、思考することの無力を人間に無言で伝えているようだった。僕は砂の上に寝転んで、度重なるトラブルも自分の将来も忘れて、ただぼうっと砂漠を眺め続けた。砂漠は僕を励ましもしないし、慰めもしない。砂漠のこの優しさには、不思議な心地よさがあった。


砂漠の砂で心を洗い流して、タクシーでホテルに戻った。もう日は完全に暮れ、夕闇が辺りを支配していた。お腹が減った僕は、ホテルに戻らずに近場を散策。そして近くにあった牛肉麺のお店に入ることにした。オーダーは当然指差し注文。女の子の店員がおっとりしていてコミュニケーションを取りやすかったので、ついでに小皿の野菜類も頼んでみた。初日の印象では、敦煌の人々は気性穏やかで外国人に親切。料理については、どれもこれも辛いの一言。ただし、味は悪くない。