旅の安心は朝食から


1日の始まりは朝食から。ビュッフェスタイルで色々食べたが、生春巻きが一番おいしかった。その場で作ってもらうフォーは、期待ほどではないがまあまあ。
今回の旅行であらためて思ったのは 小心翼翼たる旅行者にとってホテルの朝食は極めて重要 だということ。初めての土地では食べたいもの食べられる保証はないので、ある意味ホテルは補給基地。
常夏のハノイでDUBを聴きながら





常夏のハノイでDUBを聴きながら歩くと、見た目は能面でもテンションは最高潮。活気があるのにどこか怠慢なベトナムへの愛があふれ、この土地で一生過ごすのもいいかもしれないと本気で考えてしまう。
ただし、その幸福な妄想が続くのは歩き始めて15分まで。東南アジアの灼熱の太陽は、旅人のロマンにまったく配慮しない。ベトナム永住計画は、汗とともに早くも一時保留となった。

地図を見ると、近くに教会があるようだった。せっかくなので、少し寄り道してみることにした。
しかし、地図の表記は曖昧だし、旧市街は相変わらずカオスだった。道はあるのに、目的地へ近づいている気がまるでしない。
汗の量も尋常ではなく、教会より先に生命維持が優先事項になった。そこで、純朴そうな女の子が店番をしている店で水を購入。ついでに教会の場所を聞いてみると、なんと1ブロック先だった。
チュックバック湖にて、バインミーへの郷愁



ホーチミン廟を目指していたはずが、暑さに判断力を奪われ、気がつけばだだっ広い湖の前に立っていた。
調べてみたら チュックバック湖 というらしい。目的地ではないが、もはや細かいことを言っている場合ではない。
疲れも頂点に達していたので、近くのカフェで休憩することにした。ところが、頼んだコーラは缶にもかかわらず炭酸が抜けているし、バインミーの中身は卵だけだった。
ホーチミンで食べた、あのおいしいバインミーはどこにあるのか。ここハノイでは今のところ永遠に見つからなそう。


チュックバック湖のすぐ隣にはタイ湖という湖がある。ハノイには湖が多いが、その場で飛び込めるわけでもなく、それ以上の興味が一切わかない。そもそも、こうも暑いと何でこの土地にいるのか、そんな基本的な目的さえ忘れてしまう。
チュックバック湖のすぐ隣には、タイ湖 という湖がある。ハノイには湖が多いが、その場で飛び込めるわけもなく、眺めていても興味は一切湧かなかない。
暑さで景色への感受性がなくなっているのかもしれない。そもそも、こうも暑いと自分がなぜこの土地にいるのかさえ分からなくなる。
No Entryだらけのホーチミン廟



閑静な通りを抜け、ようやく ホーチミン廟 に到着した。時刻はすでに12時。太陽がいよいよ本気を出す時間にも関わらず、こちらの武器はピンク色のHMVのタオルのみ。
廟の周辺には「No Entry」の看板が至るところに立っていた。警備も厳重で、ベトナムにとっての重要な場所だというのがすぐ分かる。
どこかに荷物を預けて、廟内に入れる場所があるはずだと思い、暑さの中を探し回った。すると、それらしい建物を発見。そして、目に入ったのは無情な看板──
「金曜の午後はお休みです」
ピンクのタオルで汗を拭きながら、とりあえず中に安置されているはずのホーおじさんにお祈りした。

暑さと休廟の絶望感で、徒歩で戻る気力は完全に消えていた。ここから歩くのは観光ではなく、もはや修行。
そこで、近くにいたシクロのおじさんに声をかけた。外国人向けの相場は約500円らしく、向こうもその値段を提示してきたので、そのまま交渉成立となった。
正直、距離を考えると割高だが、いわば人力車なのである当然とは当然。しかもシクロは、車やタクシーと違って、現地の空気に直接触れながら移動できるので、その意味ではこの価格はむしろ安い。
ちなみに、これが後にハノイでの嫌な思い出のきっかけになるとは知る由もなかった。
人権宣言の国が作ったホアロー収容所

ホテルで軽く昼寝をした後、ホアロー収容所 へ行くことにした。営業時間を考えると時間はあまりない。
そこで思いついたのは先ほど味をしめたシクロで向かうこと。ホアンキエム湖近くで運転手を捕まえ、面倒な価格交渉の末、相場の値段で話はまとまった。
移動中、運転手が「帰りはどうするのか」と聞いてきた。こちらは、まだ決めていないと答える。
すると彼は、ここで待っているから、出てきたら呼んでくれと言った。やりとりが面倒なので、僕は空返事をして、気にせずそのまま収容所へ入った。

ホアロー収容所は、19世紀末、当時ベトナムの支配権を握っていたフランスによって建てられた政治犯向けの監獄。ハノイの街中に残るその建物は、帝国主義の犠牲になった東南アジアを象徴する場所のひとつに言える。
写真の通り、ここにいた受刑者に人権という言葉はほとんど存在していなかった。監獄を作ったのが人権宣言を発した国だったという事実が皮肉すぎる。
そして、建物の奥には、人権無視を体現する足枷付きの「CACHOT」と名付けられた独房があった。わずかな通気口しかなく、受刑者の苦しみと絶望がまだ閉じ込められているようで寒気がする。



建物内部は陰鬱としか言いようがないのだが、実際のこの牢獄には政治犯とされるベトナム人の祖国への代えがたい情熱が溢れていたはず。それを考えると少しだけ救われる思いがする。彼らは自分の命を超えたところに理想を置いているわけで、他人の目からは悲惨であろうとも、それは自分自身で選びとった誇り高きひとつの生き方。
愛国者の誇り高き生き方
建物内部は、陰鬱としか言いようがなかった。壁も床も空気も、明るさを拒んでいるようにさえ見える。
ただ、実際のこの牢獄には、政治犯とされたベトナム人たちの祖国への代えがたい情熱が満ちていたはず。そう考えると、ほんの少しだけ救われる思いがする。
彼らは自分の命を超えたところに理想を置いていた。他人の目からはいくら悲惨であろうとも、それは自分自身で選び取った誇り高きひとつの生き方。



この監獄で特に強調されているのは、多くの女性政治犯の存在。彼女たちも男性と同じように祖国のために立ち上がり、この牢獄に入れられた。そして、ある者はここで命を落とし、ある者は生きながらえた。
説明を読むと、14歳で投獄された少女や、妊娠中に拷問死した女性の記録があった。事実として読むには重すぎる。せめて後世の人間がその名誉を称えなければ彼女たちは報われない。

歴史の暗部を見終えた後に外へ出ると、ハノイの道路は強烈に照り返していた。光がまぶしく、自然に表情が険しくなる。
いつものようにバイクが次々と自分の前を通り過ぎていく。彼らはこの国の過去に対して何を思い、現在をどう生き、未来に何を思い描いているのだろう。
それでも、ホアロー収容所を出た直後の目には、街の景色が少し違って見えた。ベトナムはまだ、歴史を克服している最中なのだと感じた。
センチメンタルを吹き飛ばすシクロ事件

ちなみに、センチメンタルになっていた僕の心を、現実へ力強く引き戻してくれたのがシクロのおじさんとの顛末。
ホアロー収容所の後に文廟まで乗せてもらい、それが終わってからホテル近辺で降ろしてもらった。移動は計3回、待機時間もあったので、色を付けて2,000円程度払えばいいかと思っていた。
ところが、向こうが要求してきたのは なんと5,000円だった。先ほどまで歴史の重みについて考えていた脳が、一瞬で料金交渉モードに切り替わる。
内心、金額を確認しなかった落ち度を後悔。しかし、予想をはるかに超える金額に、そのまま引くわけにもいかないので僕は「2,500円しか払えない」と応戦した。
交渉を重ねていると、周りにシクロ仲間が集まり始めた。人数が増えるだけで、場は一気に危険な雰囲気になる。まさに四面楚歌。
結果、不毛な交渉により最終的には約3,500円で決着した。金を持っている外国人から取れるだけ取ろうとする魂胆を知ると、どうにも後味が悪い。
やけになった僕は、せめて昼間に失敗したバインミーの負けを取り返すべく、帰りにバインミーを2個買った。しかも別々のお店で。
これが結構おいしく、僕の機嫌はすっかり直って、ハノイ最後の夜をおだやかに終えた。人間の機嫌と食欲には強い相関がある。