ダークツーリズムの締めは、やはりダークツーリズム。コペンハーゲンに数ある博物館の中で選んだのは自由博物館 [Museum of Danish Resistance] 。ナチズムが忍び寄るデンマークに関わった5人の目線から第二次世界大戦を振り返るというユニークなもの。歩いていたらみぞれまじりの小雨が降ってきて、博物館に着くことには、ほぼ競歩になっていた。
基本的なおさらいをしておくと、第二次世界大戦時のデンマークは中立を宣言しつつも、ノルウェーを攻めるドイツの通路のならざるを得なかったため、結局はドイツに占領された。市民生活への影響は少く、大半の市民はドイツが勝つと思っていたため傍観者になっていたが、ドイツの旗色が悪くなるについてドイツに対するレジスタンスの機運が高まっていった。
この博物館では、そんなレジスタンス活動に人生を捧げた4人+ナチス1名の活動を追っていく。レジスタンス側は愛国者だったり社会主義者だったりするのだが、当然ナチス占領下で表立った活動はできず、それぞれ非合法な環境に身を沈めていった。特に印象的だったのは、Musse Hartigという女性。彼女は2児の母でありながら最期までレジスタンス活動を続けた。その信念の強さには脱帽だが、最後にいつ死ぬかもしれないレジスタンス活動が強烈なトラウマになっていることを語っていた。
もうひとり、Henning Brøndumという男性はナチスに心酔し、悪名高い反レジスタンスのPeter Groupの中心的に人物になった。国家社会主義という思想に取りつかれた彼は、デンマーク国民がこの思想を理解するには外圧しかないと考え、ナチス側に立って活動をした。つまり、レジスタンス側と真っ向から対立する彼もまた愛国者だったかもしれず、戦争が自国の未来を憂う人々を両極に分断し、結果として殺し合いをさせたと考えるとやるせない。人は極限的な状況では極限的な選択をせざるを得ない。
色々と考えることの多かった博物館を出たら、街はもう夜の準備を始めていた。街灯が灯りはじめ、徐々に暗くなるヨーロッパの通りを歩くのはわくわくする。中心部に行くともうクリスマスが始まっていて、華やかなイルミネーションに人々が吸い寄せられていくようだった。雰囲気だけでも味わおうと、僕は露店でグリューワインを買って一服。ワインを温めて飲むことを考えた人は天才だと思う。
ホテルに荷物を取りに行く前に夕食でも食べようとスマホをいじっていたら、コスパのよさそうなレストランが近くにあった。早速行ってみると人気店のようで店内はほぼ満席。4人席はあいていたものの、こじんまりしたお店だったので断念することにした。基本的にヨーロッパはひとりで食事をする人がいないので、ファストフード以外はおひとり様NGのオーラが店員からも客からも漂っている気がする。
フライトは早朝なので、コペンハーゲン空港に着いたらパニーニを頬張りながらひたすら暇つぶし。幸いにも充電ができる広めなスペースを陣取れたので、ここで朝まで過ごすことにした。これで後は仮眠を取って朝を待つだけだと思ったら、そうは問屋が卸さない。日付も変わるころ、険しい顔をした初老の女性が近づいてきて「Are you French??」と話しかけられた。彼女の話は空港の不満やらクレジットカードをなくしたことなど支離滅裂。いくら夜中で人が少ないとはいえ、何故どう見てもフランス人ではない僕に話かけてくるのか。怖いので、適当に切り上げて場所を変える羽目になってしまった。
帰りはヒースローとヘルシンキ経由での帰国。寝ぼけ過ぎてコペンハーゲン空港でネックピローをなくすというアクシデントがあったものの、ヒースローに着いたらテンションが一気に気持ちが高ぶった。行き交う人でごった返し、あらゆる国籍の人がいる人種の坩堝。ここでWalkersのポテトチップスとサンドイッチを食べたら、10年前にロンドン留学を思い出した。
ヘルシンキに着いたらいよいよ現実に戻ったような気分になった。一週間前にサウナに立ち寄ったことが遥か昔の出来事に感じる。今回、それくらい様々な土地を訪れ、様々なものをこの目で見た。コロナ以降はじめての海外ということで、真新しい気持ちで旅行に臨むことができたことも大きいかもしれない。
ダークツーリズムという意味では、2つの強制収容所を巡り、最後にデンマークのレジスタンス活動を知ることができた。技術革新によって人間の欲に歯止めがきかなくなった現代の不幸は、まだまだ世界に散らばっている。興味をアンテナを張り続け、実際に起こったことをこの目で見るという活動は続けていきたい。
一方で、旅行の醍醐味は人との触れ合いだということにも気付かされた。年を重ねて人恋しくなったというより、限りある人生ということをよりリアルに感じるようになったのかもしれない。既知の友人でもいいし、言葉の通じない現地の人でもいい。ある意味、一期一会を体感できるレベルになったと考えると歳を取るのも悪くない。フィンエアーの機内食を食べながら、そんなことを考えてうつらうつら。そして、羽田空港に降り立って「ようこそ東京へ」のポスターを見ると、故郷に戻ったことに安堵しつつ、食い扶持を稼ぐ日常に備えて気を引き締めるのだった。