埼玉愛犬家殺人事件
国内の猟奇殺人についてはある程度知識があるつもりだったが、この「埼玉愛犬家殺人事件」はノーマークだった。
1990年代に発生し、判明しているだけで 4名が殺害・バラバラにされた事件 だが、著者によれば 主犯の男は日本では珍しいシリアルキラー だったという。
興味の対象は犯人の人物像だが…
この手の事件について僕が最も関心を持つのは、犯人の生い立ちや思考回路がどう形成されたのか という部分。
つまり、「自分とは全く異なる未知の人間を知りたい」という欲求が原動力になっている。
しかし、本書は司法権力のインチキを暴きながら、主犯の妻(共犯として死刑確定済み)の冤罪を証明すること に焦点が当てられており、期待していたものとは少し違っていた。
司法取引の実態と、司法・メディアへの不信感
それでも、司法取引の実態を知るにつれ、結果を求めるあまり、真実を犠牲にする司法 への不信感は増した。
確かに、証拠がほぼ隠滅された状況下で、主犯の手伝いをした男性の証言を得るために司法取引を行う必要はあったのかもしれない。異常な事件には異常な手法で対処せざるを得ない、という理屈は理解はできる。
しかし、「では、メディアは何をやっていたのか?」と考えると、司法とメディアの黒い関係を想像してしまう。
DV・マインドコントロールの問題
本書の記述を信じるならば、主犯の妻はDVによるマインドコントロール下にあった可能性が高い。
それが死刑を免れる理由になるかは別として、「本人が本来の本人でない状態」をどう裁くか という問題は極めて難しい。
だからこそ、この事件では 偏見を徹底的に排除した議論 が行われなければならなかったのではないか。
日本の司法に DVや学習性無力感 への理解がもっとあれば、主犯の妻は死刑にならなかったのではないかと考えると、死刑を否定しない論者の僕の心もぐらつく。