シルクロード / Silkroad Part.6-1 (楡林窟)

朝の敦煌 [by iPhone5]

この日は曹さんと観光に行くため、朝5時に起床。そして約束通り6時に待ち合わせをして、前日に雇ったタクシーに乗り込んだ。外はまだ真っ暗で、朝の澄んだ香りはどこからもしてこない。それもそのはず、中国はどれだけ西に行っても北京時間が適用される。

最初に向かったのは、楡林窟という石窟。何故だか分からないが、敦煌は石窟が有名らしい。問題なのはその距離。車で2、3時間はかかるとのこと。車中で盛り上がったのは最初の30分で、その後は徐々に睡魔に襲われ、僕は夢と現実の境目を絶えず行き来していた。日の出を迎えるように目を覚ましたら、時間はまだ8時過ぎだった。


楡林窟 [by iPhone5]
楡林窟 [by iPhone5]
楡林窟 [by iPhone5]
楡林窟 [by iPhone5]
楡林窟 [by D5100]
楡林窟 [by D5100]

9時過ぎにようやく楡林窟に到着。周りを見ると、枯れ果てた不毛の地に小さな渓谷が出来ていた。そして、その渓谷の壁をよく見ると、いくつかの扉があることに気付いた。つまりこれが石窟。 こちらの気候は朝方が特に寒く、Tシャツ1枚の僕は完全に服装を間違えていた。ちなみに、この時着ていたのは台湾で買ったTシャツ。この旅で僕はTシャツを2枚しか持って来ておらず、そのうちの1枚が台湾Tシャツだったことは奇妙な運命のいたずらだと言わざるを得ない。このことを曹さんに説明したら、彼は苦笑いを浮かべていた。

石窟は強制ガイド込みで45元。ただこの料金で見られる窟は限られており、よりレアな窟を見たい場合は2倍、3倍の料金を払わなければならない。度が過ぎる観光ビジネス。しかし、石窟の中にある精緻を極める仏教絵画は見応えがあった(写真撮影NGのため写真はなし)。ほとんどの絵画は唐から元の時代に描かれており、簡単に言うと1,000年近く前の絵画を生で見たことになる。保存状態が極めていいのは、湿気が少ないからだとガイドが言っていた。


スイカ [by D5100]

次の観光スポットは城壁。この日の観光は全て曹さん任せなので詳しく分からなかったし、眠かったので詳しく聞かなかった。長い車の旅がまた始まり、僕は再び眠りの世界へ。博物館のような建物に到着したのは昼過ぎだった。中に入ると、だだっ広い空間に机がぽつんと置かれていた。そして、その上には何故かスイカが5個。僕と曹さんが左手奥にある受付に行くと、係員が全員スイカを食べていた。


廃墟 [by D5100]
廃墟 [by D5100]
廃墟 [by D5100]
城壁 [by iPhone5]
城壁 [by iPhone5]
ひび割れた大地 [by iPhone5]

ここもガイドが必須で、カジュアルな格好をした若い女性が案内してくれた。退屈だからか、タクシーの運転手も付いてくることになり、僕たちは4人組で移動。ここの城壁は、当時はさぞ立派だったのだろう。だが、今見ると風化しきっていて、それはほとんど自然の一部に成っていた。城があったくらいなのだから、かつてここにはたくさんの人がいたに違いない。人々は食事をして、争いをして、葬式をして、子供を生んで、布団で寝ていたのだろう。そういう人の営みをこの廃墟から想像すると胸に迫るものがある。どんな偉大な文明にしても、いずれはこういう運命を辿るのだ。城壁という名の夢の跡。

これでこの日の観光は終わり。曹さんはここにある他の城壁も見たかったそうだが、それには300元(≒4,500円)近くも必要らしかった。2人ともそこまで払う気はないし、結局帰ろうという結論になった。ここからはこの日最も長い車の旅の始まり。車の微振動が僕の子守唄になった。

気が付けば僕はホテルの前にいて、曹さんとお別れをする時間が唐突に訪れた。一日半の旅のパートナーだったが、忘れられない出会いになった。曹さんと僕は観光ルートが同じなので、別れ際にウルムチで会おうと言って固く握手をした。しかし、奇跡でも起きない限り、もう曹さんと会うことはないだろう。寂しい気持ちが喉の奥に引っかかっていたが、これが旅の宿命。曹さんの乗るタクシーを見送り、僕は大きく息を吸い込んで、新しい旅のスタートを切ることにした。

(続く)

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