ドイツ&北ヨーロッパ / Germany & North Europe Part.2-1 (ザクセンハウゼン強制収容所)

ベルリンから1時間、ザクセンハウゼン強制収容所へ

オラニエンブルク駅 [by iPhone]
オラニエンブルク駅 [by iPhone]
オラニエンブルク [by iPhone]
オラニエンブルク [by iPhone]

ベルリン2日目は、ザクセンハウゼン強制収容所 へ向かうことにした。

通常、強制収容所は人目につかない辺鄙な場所に作られることが多い。しかし、ここ ザクセンハウゼンはベルリンからわずか1時間 ほどの距離にある。

最寄り駅は オラニエンブルク駅(Oranienburg)。朝早く到着したこともあり、駅周辺は人通りが少ない。

昨日までの 雑然としたベルリンの雰囲気 とは打って変わって、そこに広がるのは 静かで整然とした住宅街だった

静寂の中、誰もいない道を歩く

ザクセンハウゼン強制収容所 [by iPhone]
インフォメーションセンター [by iPhone]
収容所への道 [by iPhone]

オラニエンブルク駅から 徒歩30分。ついに ザクセンハウゼン強制収容所 に到着した…と思いきや、実際には そこからさらに歩く必要があった。

インフォメーションセンターで 簡単にルートを確認し、収容所跡地まで壁伝いにひたすら歩く。しかし、歩けど歩けど、入口が見えない

公共の施設だが、周りには 誰もいない。ただひたすら、静寂の中を進むだけ。

右手には 警察の施設 があり、「もしかして、うっかり立ち入り禁止エリアに入っていないか?」と不安が募る。

収容所に向かうこの道のりが、まるで過去にここへ送られた人々の心情を追体験するような気分 にさせる。

ドイツ初の強制収容所、その歴史

A塔 [by iPhone]
強制収容所全景 [by iPhone]
働けば自由になる [by iPhone]

しばらく歩き続け、ようやく 収容所の入り口 を発見。

門の柵には、あの有名な言葉──

「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」 が刻まれている。

ザクセンハウゼンは、ドイツで最初に作られた強制収容所。ここにはユダヤ人だけでなく、政治犯や反体制派 も収容されていた。

さらに、ここは SS(突撃隊)のトレーニング施設 でもあり、収容所の 入口にある「A塔」 は、当時彼らの宿舎だったという。A塔の内部は見学可能で、SSの悪行の数々が、所狭しと展示されている。(ちなみに、A塔の手前に New Museum という展示館もあったが、すべて ドイツ語表記のみ だったので完全にお手上げ)

A塔を出て門をくぐると、目の前には無限に広がる殺風景。その広さたるや、東京ドーム何個分か と表現したくなるレベル。放射線状に点在する収容施設は、はるか彼方でほぼ見えない。

そして、背後を振り返ると——

そこには 終わりなく続くぐるぐる巻きの有刺鉄線 があった。

囚人たちは、この広大な地で朝夕の点呼を受けていた。しかし、それは単なる確認作業ではなく、夕方の点呼で処刑される者もいた という。

医療施設という名の人体実験場

強制収容所 [by iPhone]
キッチン [by iPhone]
建物 [by iPhone]
展示 [by iPhone]

収容所内に並ぶ バラック(囚人収容施設)は、一部が展示施設になっている。

まず、西側から回って最初に入ったのは 医療施設。しかし、ここで行われていたのは 医療行為だけではなかった。

この場所では、囚人への治療と称しながらも、人体実験が行われていた

各部屋には、当時の実験内容や、それによって犠牲になった人々の記録が展示されている。マスタードガスの実験 にされた囚人のエピソードなどもあった。

さらに、別の建物では、囚人たちの遺品 が展示されていた。収容所の広さも圧倒的だが、展示されている情報量もそれに負けていない

これは、ある意味で ドイツの反省の度合い を示しているとも言えるのではないか。

ヒトラーはなぜ、ユダヤ人を標的にしたのか?

強制収容所全景 [by iPhone]
犠牲者 [by iPhone]
監視塔 [by iPhone]
監視塔内展示 [by iPhone]
ソ連占領期の犠牲者のお墓 [by iPhone]
記念碑 [by iPhone]

西側をさらに進むと、Z施設(Station Z) と呼ばれる処刑施設跡 があった。ここは、まさに大量処刑の場。多くの囚人が ガス室へ詰め込まれた後、焼却処分された場所 だ。

今は跡地となっているが、当時ここで何が行われていたのかを想像するだけで 背筋が凍る。

ただの建物ではなく、人間を効率的に処理するためのシステム が確立されていた場所。

考えることが多すぎて、珍しく写真を撮り忘れてしまった。

ただ、勘違いしてはいけないのは、この強制収容所自体は、ヒトラーが全権を握る前に作られた施設 であるということ。しかも、当初の目的は、政治犯やナチスに敵対する勢力を押さえつけるため だった。

では、ヒトラーは いつ、そしてなぜ反ユダヤ主義に転じたのか?

実は、その 明確な理由や時期は分かっていない。あくまで個人的な推測ではあるが、彼は ユダヤ人を「票稼ぎのための敵」として利用 したのではないだろうか。

当時のヨーロッパには すでにユダヤ人への偏見が根強く存在 していた。そして、ヒトラー自身、不遇な過去 を彼らに照らし合わせて悶々としていたかもしれない。ある意味、彼にとってユダヤ人は、政治的な都合と個人的なルサンチマンを昇華する対象 だったのではないか。

しかし、どんな理屈を並べようとも、この歴史が許される理由には1ミリたりともならない。

プライバシー皆無の生活空間

バラック [by iPhone]

収容所の見学も終盤。最後に向かったのは、東側にあるバラック。

ここでは、当時の囚人たちの住環境が再現 されている。三段ベッドはまだしも、敷居のないトイレや、水飲み場のような風呂場 を見ていると、もう少しプライバシーがあってもよいのでは と思わずにはいられない。

もちろん、当時と人権感覚が違うとはいえ、これはあまりに過酷。さらに、ここの風呂場では、看守による体罰や虐待が日常的に行われていた という。

閉鎖された空間で、権力者の私利私欲のために身体を捧げざるを得なかった囚人たち

その事実を思うと、胃の奥から何かがせり上がってくるような感覚 に襲われる。

バラックを出ると、入り口前に花束が捧げられていた。その場でしばし黙祷を捧げる。すると、ふと気づいた──

来るときは閑散としていた収容所に、ツアー客がたくさん訪れていたのだ

強制収容所を巡るためにベルリンに来る人なんているのか?

そう思っていた矢先だったので、この瞬間、同志を見つけたような心強さ を感じた。

ベトナム料理と庶民感覚

帰り道 [by iPhone]

帰り道、オラニエンブルク駅の近くにあった ベトナム料理屋 に立ち寄ることにした。

周りを見渡せば、あるのはケバブ屋とピザ屋ばかり。「ちゃんと食べたい」と思うと、どうしても アジア料理に落ち着いてしまう

注文したのは ブン・ボー というベトナムの牛肉麺。これが、なかなかおいしい。ザクセンハウゼンで受けた精神的な重みを、少しだけ和らげてくれるような味だった。(しかし、ついでに頼んだコーヒーがびっくりするほどまずかった

しかし、美味しいブン・ボーが救いだったとはいえ、チップ込みで1,800円 と考えると、どうにも満足度は低い。

ただ、ここでの真の問題は、ついつい日本円に換算してしまう自分の庶民感覚。「ヨーロッパは物価が高い」と分かっていても、いちいち換算してはため息をついてしまう

お腹が満たされた後は、再びベルリン市内へ。電車に揺られながら、ザクセンハウゼンで見た光景を思い返し、時空を超えて80年前と現在を行ったり来たりした

(続く)

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