ヘルシンキからベルリンへのフライトはたったの2時間。初めてのドイツに足を踏み入れて感動もひとしおと思いきや、着いた直後は「強制収容所巡りよりもフィンランドでサウナ巡りの方がよかったのでは?」という自問自答が続いた。そのため、一日チケットを買って電車に乗車する僕の足取りはやや重かった。
ベルリン中央駅は、近未来的というか縦横斜めに人やら通路がひしめいていて、いわゆるステレオタイプなドイツのイメージとはかけ離れていた。電車も「U」やら「S」やら謎の記号が付いているし、乗り場も立体的過ぎてどこに行けばいいのか分からない。一方、観光に行く前に荷物をロッカーに預けようとしたら、硬貨を入れてカギをしめるという超アナログ仕様で拍子抜けした。
身軽になったところで、しばらく食事を取っていないことに気付いた。ベルリン中央駅には色々な飲食店があったが、数名の知人がお勧めしていたカリーブルストを食べることした。それはソーセージにカレー粉を入れたケチャップをかけたもので、その昔ドイツ好きの彼女が作ってくれた一品でもある。その味は想像の域を寸分も出ず、低い期待値にジャストミートしてくる。要はただのファストフード。
ここからベルリンを観光することになるわけだが、ダークツーリズムの観点からは2つのアプローチがある。ひとつはベルリンの壁に代表される東西分断の軌跡であり、もうひとつはナチスドイツの戦争犯罪だ。時間も限られているので、一番近くにあるブランデンブルク門を中心に東西分裂の足跡を辿ることにした。
慣れない電車に乗ってブランデンブルク門駅 [Brandenburger Tor]にて下車。早速門の前に行くと、まさかの工事中でがっかりしてしまった(あとで分かったのだが、環境活動家が門を汚損したらしい)。ただし、反対側はきれいな状態で、荘厳な佇まいは歴史の重みをまとっていた。この門は、冷静時に境界線の東側(ソ連側)に組み込まれ、崩壊時には西側(アメリカ側)から大々的にメディア報道されるなど、東西冷戦の象徴と言える。僕が写真を撮っているまさにこの位置にベルリンの壁は建設されており、立っているだけで歴史の生き証人になったような気分に浸れる。歴史を物質的に残すことではじめて、僕たちは時空を超えてその出来事に共感できるのではないだろうか。
次の目的地は、東ドイツの庶民生活を垣間見れる東ドイツ博物館 [DDR Museum]。その途中で巨大な聖堂を見つけたので写真に収めた。その名もベルリン大聖堂。ドイツ地方の名門ホーエンツォレルン家ゆかりの聖堂らしく興味をそそられるが、今回はパス。ダークツーリズムにアートが入り込む余地はない。
東ドイツ博物館は地面より一段低い位置にあり、意図的かどうかは分からないが秘密基地のようになっている(なお、DDRはドイツ語のドイツ民主共和国の頭文字)。室内は遊び心が満載で、展示が引き出しの中にあったり、当時の東ドイツの一般家庭の家が再現されていたりする。西ドイツと比べた時に東ドイツが貧しかったのは周知の事実だが、部屋を見るとそこまでの貧しさを感じさせない。ただし、総人口の1割近くが秘密警察だったことを考えると絶対に住みたくない。
博物館を出たらもう日が暮れだしたので、最後にアレクサンダー広場に立ち寄ってホテルに向かうことにした。が、着いた途端に小雨が降り始めため、何もせずに撤収。観光名所の時計台も冴えないし、買い物をしたい人でなければ来る意味はなさそう。
ホテルの最寄り駅はベルリンから北に電車15分ほどのゲズントブルンネン駅 [Gesundbrunnen]。ショッピングモールが隣接していたので、ここで夕飯を食べることにした。モールの端から端まで歩き尽くして、結局選んだのは一番お値打ちのインドカレー。移民大国ゆえか、ドイツは特にアジア系のレストランが多い気がする。
今回久しぶりのヨーロッパということで、ケチらず標準的なホテルを予約した。清潔でベッドも大きいし、操作方法が全く分からないコーヒーメーカーがあるのも嬉しい(怖くて使えない)。何はともあれ、たった1日でヘルシンキのサウナに入って、ベルリンで冷戦の爪痕を確認することができたのは大きな成果だった。が、落ち着いてベッドに寝転ぶと「あれ、なんでドイツにいるんだっけ?」という瞬間が訪れる。僕が旅を望んでいるのか、旅が僕を望んでいるのか、真相はきっと永遠に分からない。