悪名を馳せたウイルスが影を潜め、社会はうさを晴らすかのように急激に正常に戻っている。では、個人の生活でコロナ禍の終焉といえばなんだろう。少なくとも、僕にとってそれは大手を振って海外に行くことだ。すでに台湾、香港には行ったが、ある意味アジア圏のお隣さん。やはり遥か彼方の異文化に赴かなければ真のアフターコロナは始まらない。
今回選んだのはドイツ。ダークツーリズムの総本山でもあるし、地元の先輩がハンブルク近郊に住んでいるので訪ねてみようと決めた。チケットは貯まりに貯まったマイルを利用。競争率が激しいのでクリスマスシーズン前のヘルシンキ経由しかなかったが、結果としてはこれが功を奏した。時に旅には遠回りも必要ということ。
僕を北欧に運んでくれるのは深夜のフィンエアー。ウェルカムカードのムーミンと一緒に搭乗して、ボリューム満点の和風の機内食をいただいた。深夜に食事をする背徳感がたまらない。食後は「Everything Everywhere All At Once」を子守歌に就寝。しかし、エコノミー席ではどうしたって熟睡はできない。しかも、現在ロシア上空を飛べないから、フライト時間は地獄の13時間。身も心もしんどい。混迷を極める世界情勢はこんな形で旅行者の足を引っ張る。
早朝にヘルシンキに到着。次の目的地のベルリンへのフライトには7時間あるため、本場のフィンランドサウナに行こうと決めていた。初めての、しかも旅の最初の国でサウナに行くのは非常にリスクが高いが、コロナ禍で目覚めたサウナ欲を抑えることはできない。
ほぼ始発の電車で市内に出れそうなので、打ち放しのコンクリートの構内を通ってプラットホームへ向かった。外に出ると、冷凍庫に入ったような冷気に包まれ一気に目が覚める。気温は0℃前後。防寒対策の甘さを若干後悔しながら、ヘルシンキ駅に行きそうな切符を券売機で買った。
早朝の車内は空いていて、駅員に切符を確認された後は窓の外に広がる暗闇を眺めて疲れを癒した。気になったのは、駅名を表示する標識に似ても似つかない名前が併記されていること。英語とも思えないので調べてみたら、スウェーデン語だった。中世以降、北欧の覇者だったスウェーデンの影響はしっかりこの地に根を下ろしている。
ヘルシンキ中央駅に到着して建物から外に出ると、脱走して娑婆に出たような開放感。息が凍る寒さは相変わらずだが、街灯が見えるだけでずいぶん気持ちは軽くなった。意識していないだけで、見知らぬ土地を移動する時は神経が張り詰めている。さて、ここから目指すのはAllas Sea Pool。基本、フィンランドのサウナの朝は遅く、唯一ここだけが6時半にオープンしていた。しかも徒歩圏内。サウナの神は我に微笑む。
サウナまでは徒歩20分ほどで、街歩きにちょうどいい距離。人気もなく、オープンしている店も皆無だが、逆にヘルシンキを貸し切っているような気分になれる。クリスマス前の華やかさも感じられて、今まさに自分が望んでいた異文化にいることを実感。しかし、フィンランド湾沿いに出ると、海風に容赦なく晒されてあらゆる思考が停止する。寒すぎる。
念願のサウナに到着、と言いたいところだが入り口のゲートは故障しているし、チケット売り場は開いていない。散々広い施設を歩き回った末、隣接しているお土産屋のようなところの灯りがついてチケットを買えた。フレンドリーな男性店員は、非常にきれいな英語でシステムを説明してくれた。
入場すると、先ず見えたのはプール。気温0度で水に入るのはクレイジー以外の何物でもないが、案内をしてくれた店員が水温は25℃程度と説明してくれて合点した。が、当然プールは丁重にお断り。時間も限られている中、すでに長旅でくたくたになっている体に鞭打ってどうする。
水着に着替えてサウナに入ると、構造は日本と同じで(というかこちらが元ネタ)、2段構えで中央にオートロウリュがあった。温度はオフィシャルでは90℃とあったが、体感はもう少し低め。室内には他の利用客はほとんどおらず、ほとんどプライベートサウナ状態だった。芯から冷えた体を温めながら、窓からフィンランド湾の夜明けを眺めるのは至福のひと時。外気浴の開放感も言わずもがな。裸でこんな絶景を楽しめる場所はそうそうない。
本場のサウナに入った充実感とトランジットを活かせた達成感で、僕の心は朝を迎えたヘルシンキの街のように明るかった(一方、体は冷えきっている)。朝と夜では街の表情は完全に別物で、同じ道で迷いそうになることもしばしば。朝食を食べるくらいの時間はあったものの、万が一があるとまずいので僕はおとなしく電車に乗って空港に向かうことにした。
無事に空港に着いたら、小腹を満たすためにカフェでコーヒーとチョコレートマフィンを買って休憩。空港価格とは言え、この組み合わせで1,300円近くするのには納得いかない。円安の頂点でヨーロッパに来た自分を恨むべきか。と言いつつ、「これもいい思い出」とほくそ笑むもうひとりの自分もいる。
(続く)