震災の爪痕を訪ねて南三陸町へ

今年のゴールデンウィークは、珍しく宮城県へ小旅行に出かけることにした。そろそろ、12年前に起きた 東日本大震災の爪痕 を見に行ってもいい頃合いでは、と自分の中で折り合いがついたからだ。
本当はもっと早くに訪れたかったが、コロナ禍もあったし、何より 震災直後に打ちひしがれている人々のもとへ行くのは気が引けた 。
初日の目的地は、震災で 甚大な被害を受けた南三陸町 。前日に古川というエリアに宿を取り、当日は電車とバスを乗り継いで向かうことにした。
小牛田(こごた)駅でかわいらしいワンマン電車に乗り、柳津(やないづ)駅でバスに乗り換え。風は強いが、天気は快晴。まさに絶好の観光日和だった。
南三陸町庁舎が語るもの




南三陸町の玄関口である 志津川駅 は、小綺麗で川沿いにある気持ちのいい駅。
橋を越えると 震災の記念公園 があり、周囲を見渡すと驚くほど清潔で整備されている 。一見すると穏やかで美しい風景だが、これはそれだけ被害が大きかったという証でもあるのかもしれない。
記念公園には、骨組みだけの南三陸町庁舎 がぽつんと立っていた。周囲の景色とは調和せず、時間が止まったままのように、ただそこにある。
目の前にすると言葉を失うほどの津波の高さ 。3階建てのビルが飲み込まれる津波なんて、誰が想像できるだろう。
ここでは、住民のために最後まで警報を発し続けた職員 を含め、43名もの方が命を落とした という。自然の前では、人間の努力がどれほど無力なのかを痛感させられる場所だった。
震災遺構として残る結婚式場



庁舎の向かいには、高野会館という結婚式場がある。ここも震災遺構として保存されており、中は水害と経年劣化で荒れ果てた廃墟になっていた。
建物の外には津波の高さを示す青いマークがついている。改めてその高さを目の当たりにすると現実とは思えない。
それでも、屋上までは浸水せず、避難した人々は無事救出されたとのこと。ほんの少しの高さの違いが、生死を分ける。
商店街での海鮮ランチ


ひととおり震災遺構を見たあとは、駅前の商店街へ。青空マーケットのような雰囲気で、食事処やお土産屋がびっしり並んでいる。
観光客も多く、人気店には行列ができていたため、テイクアウトできるお店で海鮮丼を購入。強風に煽られながら、新鮮な海の幸を堪能した。
さらに、ちょっとした 復興支援の気持ちで、普段なら値段的に躊躇する帆立と牡蠣の鉄板焼きも注文。もちろん、味は言うまでもなく絶品 。
メモリアルミュージアムで考えたこと


最後に 南三陸町メモリアルミュージアム へ立ち寄った。展示は多くないが、有料で学習型の映像コンテンツが視聴できる。
時折、画面に 「あなたならどうする?」 という質問が表示され、ディスカッションを求められる仕組みだったが、ひとりの僕はじっと黙想。映像のメッセージの肝は、「災害の規模は誰も予測できない。だからこそ、常にどう動くかを考えておくことが重要」 というものだった。
しかし、もし実際に津波が迫ってきたとき、自分はどうするだろう。近くのビルの屋上に逃げるか、それとも、遠くの高台へ向かうか──
考えた末に思ったのは、多分、僕は屋上を選んでしまう ということだった。
震災の爪痕と、復興の光

南三陸町の被害者数を調べ、単純に計算してみると 実に5%の人が行方不明または死亡 していることになる。海岸沿いのエリアではさらに比率が高く、まるで戦争のような被害 だったことがわかる。
町の悲しみがすぐに癒えるわけではないし、復興もまだ道半ばだろう。それでも、町が活気を取り戻していたことに、大きな希望を感じた 。
今、この時期に訪れることができてよかった。そう思いながら、南三陸町の美しい空と海を静かに眺めた。