祝日明けの金曜日に休みを取って、茨城県のスパに行こうと手頃なホテルを探していたら、住所に「東海村」の文字が見えた。もしやと思ってWikipediaを調べると、この村は「東海村JCO臨界事故」という日本で初めて原子力事後が起きた場所。作業員として被ばくをした大内さんのドキュメンタリーも読んでいたし、奇妙な偶然にスパよりも東海村訪問が目的になった。
長々電車に揺られて昼前に東海駅に到着。近代的できれいな駅だが、駅前には飲食店の類がほとんどない。幸い反対側にイオンがあったのでそこのマクドナルドで昼食を済ませた。一服後は、原子力科学館を目指してゆるゆる徒歩。派手さのない街並みが広がる中、原発反対のビビッドな看板がちらつく。原発の存在に反対する住民がいるのはやむを得ないが、一方で助成金等で潤うのも事実。原発のリスクを飲み込めば、住みやすい街ではないだろうか。
30分近く歩いてようやく原子力科学館に到着した。この辺りは原発関連施設が多く、ここが原子力の村であることを実感。科学館の入場は無料で、まずはJCO臨界事故の展示を見た。事故のあらましはシンプルで、要は効率を求めて安全管理を怠った結果、臨界事故が起きてしまった。原子力の怖さを知っていればあり得ないオペレーションだが、従業員にとっては単なるルーチン作業だったのだろう。慣れとは恐ろしい。
別の建物には原子力に関する様々な展示があり、初心者にはなかなか勉強になる。特筆すべきは「霧箱」という放射線が可視化できる装置。名の通り放射線が霧となってふわふわ揺れている。これを見ると、放射線自体が自然界に存在するものだと改めて理解できるし、そうなるとなおのことその扱い方が問題になることが分かる。全く期待していなかったが、来た甲斐があった施設だった。
最後は、宿泊するホテルの先にある臨界事故の現場へ。Wikipediaの座標にあるのは、殺風景な化学系の施設。もう月日も経っているし、事故当時を思い起こさせるものがあるのかどうかすら判断できない。日本初の臨界事故ではあるが、施設内の事故であったため、そもそも外見的な痕跡はないのかもしれない。
消化不良感は残るものの、常に痕跡が残っているとは限らない。小さなダークツーリズムを終えて、ホテルでコンビニ飯をつまみにひとり乾杯した。そして、原子力の魅力に気づいてしまった僕は、日付が変わるまでWikipediaを読み漁るのだった。
おまけ。翌日は当初の目当てだった湯楽の里に行って絶景露天風呂を堪能した。そして、時間があったので水戸で下車して茨城県立歴史博物館へ。一橋徳川家や「鹿島と香取」の特別展示もあり、なかなか楽しめた。次は偕楽園に行こう。