最近、ヤマケイ文庫の山岳遭難関連の本を読んだらすっかりハマってしまい、では世界最高峰の遭難はどんなものかと手に取ったのがこの本。1996年に複数の商業登山グループがエベレストの頂上付近で遭難し、8人が命を落としてしまった。著者はこの登山に同行した出版社の記者で、本来なら雇われた会社の華々しい宣伝記事を書くはずが、結果として醜聞を晒すような本を出すことになってしまったのは皮肉という他ない。
商業登山とは要はガイド付きの登山のことだが、1990年代にはエベレストという難易度の極めて高い山のガイドをして金を稼ぐ会社が現れた。それが今回の事件の主役となるアドベンチャーコンサルタンツ社とマウンテンマッドネス社。600万近いガイド料にも驚きだが、豊富な登山経験がなくても参加できることに驚いた。エベレストのような高い山は、普通の山と異なり、空気の薄さとの戦いが過酷を極める。単純な話、エベレストの頂上付近は酸素が少なすぎて、人間はそこにいるだけで体が死にはじめるらしい。そんな山に情熱優先で参加する人間も、ガイドをしようとする人間も常軌を逸している。登山家とは、山への情熱が死への恐怖を上回っている人種なのだろう。
嵐に捕まり、視界が失せ、寒さに凍え、意識が朦朧としていく過程は、文章でも十分すぎるほど恐ろしい。しかも、登山者は空気の薄さに順応するまでも、そして順応してからも、基本的にずっと体調不良と不眠に悩まされている。エベレストを登ると言うことは、ある意味で1ヶ月以上拷問を受けるのと変わらない。こんな苦しみを味わっても挫けない様は、禁欲的過ぎて聖人のようにも見える。とにかく、自分には絶対に真似できないし、自分が日帰りで楽しむ登山とは天と地の違いがあることを知った。
遭難には、必ず原因がある。今回の件で言えば、頂上付近で嵐に見舞われたこともあるが、記者同伴で競合会社と同時期に登山をしているという部分が大きいと思う。両社のリーダー(=経営者)が亡くなってしまったため、真相は分からないが、会社としては”自社だけ登頂に成功しなかった”という事態だけは避けなければならない。ましてや、失敗を書き立てる記者までいるのだ。しかし、人の命を預かるガイドとしてそれは倫理的にいいのか。さらに言えば、いくら経験豊富とは言え、薄まる空気は等しく登山者から判断能力を奪っていく。生存者がいることでこの極限状態のドラマには救いがあるが、一方で商業登山という仕組みそのものに大きな矛盾を感じる後味の悪さが残った。仮にこの登山が成功していたとしても、いずれ同じような死亡事故が起こる未来しか想像ができない。