ルワンダに旅行に行ってから、トラウマはどのように克服されるかということが気になって仕方がない。そんな時にBOOKOFFで見つけたのがこの本で、実例を基に遺族を失った悲しみを克服するプロセス(悲嘆のプロセス)や、家族が自死したことで遺族が被る社会的偏見が分かりやすく説明されている。社会や時代が違っても、自死にまつわる遺族の環境はおそらく変わらないと思う。
興味深いのは、傷ついた遺族はその思いを外に吐き出すことで感情を整理していくという点。どす黒く渦巻く負の記憶は、放っておけばそのまま心を蝕んでしまうので、何度も繰り返し自分の外に出すことで初めて人はその記憶と向き合えるようになるらしい。ただし、ここで向き合い方を間違えると、トラウマ的記憶を他人に再現するようになってしまい、犯罪や虐待等につながってしまうとのこと。専門家が必要なのがこの点で、彼らは様々な手法で記憶を表に出させ、その記憶を正しく整理することができる。
筆者は、最後に自死についての見解も述べていて、自死とは自らを殺すことではなく、追い込まれた自分の状況を伝える最後の手段だと言っている。また、自死する人を、追い込まれて死ぬこと以外に考えられない、つまり死の衝動に取り憑かれている状態になっているとも言う。そして、その死の衝動というのは、何よりも強い感情なのだそうだ。
死の衝動。理解できそうで理解できないこの感情。思い出すのは、ドストエフスキーもカミュも芥川龍之介もこの衝動について作品の中で触れていたこと。男性の性衝動は子宮に戻りたいという潜在的な願望という話も聞いたことがあるので、もしかすると誰の心の中にも「さっさとこの世からおさらばしたい」という気持ちがあるのかもしれない。この辺の心理については別途フロイト先生に尋ねるとして、本書のメインテーマである「悲嘆援助(グリーフケア)」についてはもう少し学んでみたい。