「ある少年の告白」という映画を見て、結構な衝撃を受けた。1970年代のアメリカでは、キリスト教的道徳の観点から、今でいうLGBTの人々を神の教えに背く性的倒錯者として、治療対象にしていたらしい。教室で前に座らされ、自己暴露による反省を強制させる生徒の姿は痛々しい・・・。
今でこそセクシャリティは先天的なものだという理解が浸透しているが、男女をペアとして考える思想の中で、また、大半の人間が異性を愛する世界の中で、同性愛が迫害に近い扱いを受けるのは、(同性愛が正常であるという)科学的裏付けができない限りやむを得ないとも思う。実際、同性愛について宗教的制約がない日本でも、ゲイの人々はメディアで嘲笑され続けた。
生来の志向を社会的な同調圧力で変えさせられることほど、辛く屈辱的なことはないだろう。運よく多数派に生まれた人々は、理解できずとも、未知や異端に対してどのような心構えをするかは公的に議論すべきだと思う。これは固定概念をいかに壊すかという問題でもある。
ちなみに、小説版のBoy Erasedは映画版と同様、時系列が激しく前後する上に、出来事が断片的に語られるのでとても分かりにくい。きっとそれが作者の意図だと思うが、よく言えばアーティスティック、悪く言えば中身が入ってこない作品だった。僕の英語力の問題を差し引いても恐らくこの感想。映画の方は面白かった。