アムステルダム行きの便は午後なので、最後にホロドモール記念博物館に立ち寄ることにした。スーツケースを引きずりながら、最寄りのドニプロ駅 [Dnipro] で降りて、まずは朝食。適当にサンドウィッチを注文したらクッキーのようなものが出てきたのだが、これがおいしい。サクサクのパンと粒マスタードのハーモニーが舌の上でどうのこうの。まさかキエフ最終日に最高の食事に出会えるとは。あっさりNo2に陥落してしまったプザタハタに栄光あれ。
記念博物館の周囲は尖塔が際立つ公園で、入口の近くにはやせ細った少女の像があった。ちなみにホロドモールとは、 スターリン独裁下のソ連で起きた人工的な大飢饉のことで、外貨獲得のためにウクライナ人が作った農作物は根こそぎ取り上げられ、結果数百万の農民が飢え死にすることになってしまった。母親が餓死する前に「自分が死んだら(自分を)食べるように」と遺言したというようなエピソードもあり、地獄以外の何物でもない。原因については、共産主義政権の暴走という側面もあるが、他方で積年の民族間の対立という側面もある。いずれにせよ、史上最大の悲劇のひとつであることは間違いない。
少女の像の奥にある塔に階段があり、下りるとそこが博物館になっていた。円形のホールの中央は祭壇のようになっていて、全体的にシンボリックかつアーティスティックな造り。壁にはプロジェクターの映像が流され、当時の農民が使っていた農具がいくつも展示されていた。また、犠牲者に関する情報が載っている分厚い本も閲覧できた。
小綺麗なこの空間からは、人口の4分の1が減ってしまった飢饉の悲惨さは伝わらない。散々ネットで地獄絵図を見た僕からすると見込み違いな部分もあったが、きっと犠牲者の尊厳をこれ以上踏みにじりたくないという製作者の意図なのだろう。館内を観賞中、受付の初老の男性が僕に熱く語りかけてくれたが、言葉が全く理解できなかったことが残念極まりない。
原発事故といいホロドモールといい、ウクライナは苦難を強いられ続けた民族だとしみじみ感じた。現代のウクライナの若者は自分の祖先が味わった辛苦をどう受け止めているのだろう。原爆と敗戦を経験した日本の若者がそうであるように、それはやはり時折思い出される断片的で遠い過去なのだろうか。
忘れずにホロドモール記念博物館を訪れることができてよかった。人道の罪だけは今後一度たりとも起こしてはいけない。負の遺産に出会う度に湧き上がる使命感のような感情。この感情を確認できるだけでもこういう旅には価値がある。そんなことを考えながら、時間いっぱいでアムステルダム行きの飛行機に乗り込んだ。