遂にイスタンブールを朝から夜まで満喫できる最後の日になった。名残の惜しみ方を忘れていた僕は、何の目的もなくタクシム広場へ。繁華街と思われる通りはひたすら一直線で、たまに路面電車がのんびり走っていた。途中、じゃれてくる猫を触ってかわいがっていたら、向かいから男女の怒号が響いてきた。きっと夫婦喧嘩なのだろう。やがて、ふて腐れた男性を残して、女性は嗚咽しながら喧騒の中に消えていった。漠然と感じるイスラム世界の男尊女卑。
一通りタクシムの通りを歩いたら、案の定やることがなくなった。次にどうしようと棒立ちで放心していたら、ふとグランドバザールに行きそびれていたことを思い出した。バザールへは来た道を戻ることになるが仕方がない。しばらく電車に揺られて現地へ向かった。最寄り駅に到着し、バザールに近づくと人通りが徐々に増えていった。そして、アーチ上の入り口をくぐると、目がチカチカするようなお土産たちが一斉に僕をお出迎え。欲しい物が山ほどあったが、持ち帰る気力もお金もないので、僕は終始指をくわえて鼻を垂らす小学生。
歩くにつれバザールの華やかさは徐々に失われていった。そして、気がつけば地域の商店街に迷い込んでいた。このまま進んでいけば迷うこと必至だが、何かを求めて小さな冒険を続行することにした。しかし、疲れと寒さはじわりじわりと僕の体を蝕み、もう帰ろうと思った時には既にどこにいるのか分からなくなっていた。そして、ほぼ同時に一眼レフの充電が切れたことに気がついた。
迫る夕暮れ。通りは徐々に寂れていき、やがて曲がり角に行き着いた。すると、曲がり角の向こうにいた子供たちが小走りでこちらに走ってきた。そして、貧しい身なりの子供たちの手がこちらに伸びてくる。何を言っているのか分からなかったが、それは全世界の貧しい子供が行う共通の儀式だった。僕は小銭をあげて、うまく笑顔を作れずその場を立ち去った。
僕はなんだかうんざりした気持ちになって、タクシーでホテルに戻ることにした。そして、ホテルの前に着いたら、近くで買い食いをして部屋に蟄居。もうどこにも出たくなかったし、僕の頭の中には帰りのフライトのこと以外何もなかった。別にイスタンブールが悪かった訳ではない。犯人は、きっと旅の疲れと冬の寒さと絨毯詐欺。それから、もしかしたら、出会うことなきロンドンのクラスメート。
こうして東欧放浪の旅は終わりを告げた。イスタンブールに旅のクライマックスを持ってこれなかったことが悔やまれるが、現実はドラマのようにはいかない。ネガティブなことが多いイスタンブールだったが、それも飛行機に乗ってしまえばすぐに懐かしい思い出に変わった。
この旅で理解したこと。住んでいるのが人間である以上、世界中どこであろうと生活の本質は変わらない。どの国も似たような人生で溢れかえり、その中を幸福と不幸が行き来するだけのような気がする。乗り継ぎで足止めを食らったモスクワ空港で、僕は壊れかけのカメラが写した東欧の風景を何度も見返した。どの写真も遠い昔のように感じられたが、紛れもなく僕の経験した現実の断片だった。水没してなお一生の財産を作ってくれたこのカメラには感謝しても感謝しきれない。
長いフライトを経て成田空港に着陸する時、ロシア人の間で拍手が起こった。それは、安全な着陸を祝う彼ら独自の習慣のようだった。ところが、寝ぼけた僕にはそれがまるで長旅を終えた僕を讃えてくれる拍手喝采のように聞こえていた。