東欧 / Eastern Europe Part.11 (ベオグラード)

ベオグラード中央駅 [by D5100]
ベオグラード中央駅 [by D5100]
ベオグラード中央駅前 [by D5100]

霧雨が降るベオグラードに到着したのは夜が明けてまもなく。駅には屋根がなく、殺風景でどこか荒廃のにおいがした。駅の外に出てみると、同じく殺風景な街並みがずっと広がっていた。つまりこれがベオグラードという街なのだろう。ホテルをまだとっていない僕は、歩きながらボストンバッグの紐が肩にきつく食い込むのを感じた。


NATO軍の爆撃跡 [by D5100]
NATO軍の爆撃跡 [by D5100]
NATO軍の爆撃跡 [by D5100]
NATO軍の爆撃跡 [by D5100]
NATO軍の爆撃跡 [by D5100]

当てもなく広い道路を歩いていたら、道路の両端に半壊したビルを見つけた。そういえば、友人からベオグラードにはNATO軍による空爆の跡がまだ残っていると聞いていた。近くには警備員が立っており、これがその跡地に違いなかった。簡単に言えば、これはセルビア人の過激な民族主義が招いた国際社会からの懲罰の象徴。建物の壊れ方が生々しく、ここに立っているだけで空爆直後に居合わせたような奇妙な感覚に襲われた。


ベオグラードの街 [by D5100]
ベオグラードの街 [by D5100]
ベオグラードの街 [by D5100]
ベオグラードの街 [by D5100]
ベオグラードの街 [by D5100]
ベオグラードの街 [by D5100]
ベオグラードの街 [by D5100]

小奇麗なマクドナルドで朝食を食べた後、ホテルを探しながらふらふらと街を散策。ベオグラードの街は、ヨーロッパ的な建物と無表情な都会の建物が混在していて、観光地としての意思はあまり感じられなかった。言ってしまえば、飾り気のない平凡な街。そして、天気のせいか、それとも落書きが多いせいか、陰気さが街に染み込んでいるようだった。


歩き疲れた頃、一時は止んだ雨が雪に変わり始めた。僕はすぐさま近くにあったホテルに入って、空き部屋と値段の確認をした。部屋はスタンダードとラグジュアリーがあり、値段の差はたったの500円。節約よりも快適を採りたい僕は、迷わずラグジュアリーを選択した。宿泊費はそれでも3,000円。

部屋に入ると、ラグジュアリー感が微塵もない安っぽい作りに驚いた。設備も貧相で、エアコンは30分待たないと温かい空気を出してくれない。更にノートパソコンの電源を挿そうとしたら、コンセントのプレートが壁から剥がれていた。これでラグジュアリーなのだから、スタンダードの部屋はきっと窓がないだろう。


雪降る通り [by D5100]

お風呂を済ませて休憩した後、遅い昼食を食べに外へ出た。雪は小康状態。十字路でどちらに進むか迷っていたら、初老のおばさんがレストラン街の場所を教えてくれた。言われた方向に歩いてみたら、ヨーロッパ然とした小奇麗な通りに出た。晴れていたら確実に心躍る光景だっただけに残念。

入ったのはセルビアの伝統料理の店。高級感のある店内には品のある痩身白髪の店長がひとり立っていた。セルビア料理を全く知らない僕は、店長にお勧めを聞いた。彼がお勧めしてくれたのは、鳥と豚をミックスしたグリル。店内は僕以外誰もおらず、料理が出来るまでセルビア料理に関する店長のよもやま話を聞かせてもらった。味はまずまずだったが、優雅なひと時を過ごすことができた。


雪降る通り [by D5100]

店を出ると雪が強まってきたので、急いでホテルへ戻った。そしてエアコンが付くのを待ちながら、布団に包まって休憩。この寒さと雪では観光どころの話ではない。セルビアの安ホテルで身動きを封じられた流浪の旅人。こうしてふと自分自身の孤独に気がつくと、薄っぺらいベッドの毛布がいつの間にか恋人になる。

夜は隣のスーパーで買った鳥肉のシチューとお菓子で晩餐。そして満腹になったら再びベッドへ。ネットの繋がりが悪いので、ベッドに入ってもすることがない。何もない天井をぼうっと眺めていると、壊れかけのエアコンの小さな騒音が安らぎに変わっていった。ラグジュアリールームの思わぬサービス。半身を起こして窓の外を見たら、雪が道路を白く染め始めていた。


ホテルの食事 [by iPhone5]

朝起きてカーテンを開けると、予想通りの失望が待っていた。空を覆う鬱々とした雲と、そこから降り注ぐみぞれのような雪。僕はセルビアを脱出しようと決意した。そして、シャワーを浴びて気持ちを切り替えて、地下のレストランへ。だだっ広い空間には客は1組しかおらず、質素なビュッフェのメニューが一層哀愁を誘った。パサパサのパンとゆで卵を一緒に食べるとなかなか飲み込めない。


ベオグラード中央駅の犬 [by iPhone5]

ロシア人のような受付の女性に駅の方角を聞いてチェックアウト。そして、一体何をしにこの国に来たのだという疑問を踏みしめながら駅まで徒歩。ベオグラード中央駅に着いた時には、パンツの裾までびっしょりになっていた。そして、そんな僕を駅で歓迎してくれたのは、首輪をした野良犬だった。

次に行く国はボスニア・ヘルツェゴビナに決めた。ブルガリアと迷ったが、ヘルツェゴビナという不気味な響きと、サラエボというほんのり切ない響きに惹かれてしまった。移動はバスで、たったの2,000円弱。6時間で着くらしいので電車よりはるかに楽。ただ、チケットを買ったはいいものの、行き先欄にはCAPAJEVOの文字が印字されていた。もしもボスニアの辺鄙な土地で降ろされることになったらどうしよう。

CAPAJEVOの文字が心配になった僕は、もう一度確認をしようとチケットカウンターに戻ろうとした。すると、ヒッピー風の男性が僕の行く手を遮った。くしゃくしゃの笑顔を浮かべる彼は、昔軍人として半年間京都にいたことを語りだした。そして、会話の中で「カゲムシャ、キョート、ゼン」を連発して、CAPAJEVOはセルビア語のサラエボだと教えてくれた。既に予想はついていたが、彼の目的はお金。怪しすぎるが悪人ではなさそうなので、たまたまコインで持っていた2ユーロをあげた。すると彼は握手を求めてきて「君はカゲムシャだ」と言い残して消えて行った。


バスの中 [by iPhone5]
途中の休憩 [by D5100]
サラエボ [by D5100]
サラエボ [by D5100]

閑散とするバスの中でうとうとしていたら、あっという間にサラエボに到着。雪は止んでいた。夜中で灯りは乏しかったものの、街は至って平穏。ここが第一次大戦のきっかけだったり、ちょっと前に内戦による無数の悲劇があったとは想像できない。地雷を踏んだらどうしようと考えていた自分の無知が恥ずかしい。やはり信じるべきは千の噂よりも二つの目。

さて、サラエボに危険がないと判断した僕は、果敢にもホテルまで歩いてみることに。が、言うまでもなく途中で迷って挫折。何故、神は地理的センスを僕に与えなかったのか。運よく近くにタクシーが停まっていたので、僕は運転手に声をかけて乗車した。日本人が珍しいのか、車内で彼は「ジャポン、ジャポン」としきりに言っていた。ホテルは少し入り組んだ場所にあるらしく、結局タクシーも迷ってしまい、到着するまでに何人もの歩行者に道を聞くことになった。歩行者の人々は皆、夜中にも関わらずホテル探しに協力してくれた。極寒のサラエボで心温まるエピソード。ホテルは値段の割りに快適で、荷物をひも解きながらベオグラードの借りはここサラエボで返せると確信した。

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