東欧 / Eastern Europe Part.3 (アウシュヴィッツ)

朝食 [by iPhone5]
駅 [by iPhone5]

この日の目的は、現代の狂気の象徴、アウシュビッツ。人間が人間を組織的に殺すという尋常ならざる暴力に関心がある僕は、ヨーロッパに行くなら絶対ここを訪れたいと思っていた。この種の悲劇は、誰にとっても目を背けたくなるくらい不快なものだが、同時に一部の人間にとっては妙な好奇心を駆り立てられるものでもある。

まず最寄のクラクフ本駅に行って、アウシュビッツ行きの切符とプラハ行きの夜行切符の手配。窓口での購入なので色々トラブルがあると思いきや、難なく買うことが出来た。時計を見ると、まだ電車の時間まで30分以上あるので、駅構内のカフェで朝食を取ることにした。注文したのはメニューにあったBreakfast。単にパンとハムとチーズだけなのだが、格調高い雰囲気の中で食べると高級料理のような気がしてくる。


OSWIECIM駅 [by iPhone5]

ゆっくり食べていたら時間が迫ってきたので、急いでカフェを出て電車に乗り込んだ。最新式とはとても言えない古びた電車だが、こういう電車の方が旅に豊かな色彩を与えてくれるもの。のんびり揺られながら田園風景を眺めていると、電車が生まれた頃の時代にタイムスリップしたような気分になる。そうこうしているうちに1時間以上の電車の旅はあっという間に終わりを迎え、終点のOswiecim駅に着いた。


アウシュビッツ第一収容所 [by D5100]
アウシュビッツ第一収容所 [by D5100]

最初に訪れたのは第一収容所。タクシーなら駅から5分程度で着く距離にある。受付でチケットの値段を聞いたら、ガイドをつけないのなら無料だと言われた。さて、敷地内に入って少し歩くと、右手にドイツ語で「働けば自由になれる」と書かれた入り口が見えた。希望をほのめかすこの標語と、ここで起きた無慈悲な惨劇の間に、歯止めの利かない権力の底知れぬ恐ろしさがある。


アウシュビッツ第一収容所 [by D5100]
アウシュビッツ第一収容所 [by D5100]
アウシュビッツ第一収容所 [by D5100]
アウシュビッツ第一収容所 [by D5100]

第一収容所は、同じ形の飾り気のない棟が規則的に並ぶモノトーンな世界。ここで起きた悲劇を知っていると、この無機質な建物群に寒々しさを覚える。数え切れない人々が、ここで寒さと重労働の中でぼろ切れのように疲弊して死んで行ったのだろう。意外だったのはここに収容された囚人のうち、ユダヤ人は3分の1だったこと。ただし、殺された囚人の9割はユダヤ人だったらしい。

ほとんどの棟は中が資料館として改築されており、犠牲者のリストやら遺品など、凄惨な暴力の犠牲者の痕跡を嫌というほど確認できる。特に靴や髪の毛などの遺品は大量に保管されていて、見るだけで胸が詰まった。ぼろぼろの粗末な靴の山は悲惨な拘留生活を物語り、切られた無数の髪の毛は囚人の人権の不在を証明しているようだった。(なお、遺品関連の展示室はほとんど写真撮影不可)


死の壁 [by D5100]

とある棟と棟の間の壁に花が手向けられていた。説明を読むと、ここで囚人が丸裸にされ次々に銃殺されたらしい。通称、死の壁。そして、右手の棟の薄暗い地下には、飢餓牢や立ち牢など非人間的な刑罰を与えるための牢獄が存在していた。当時、痩せ細った囚人たちは、日々銃声を聞きながら、気がつけばいなくなった仲間を忘れようとしたに違いなかった。死に行き着くしかない重労働の中で、彼らは絶望以外の何を感じただろう。死の壁の前でしばし黙祷。


アウシュビッツ第二収容所 [by D5100]
アウシュビッツ第二収容所 [by D5100]
アウシュビッツ第二収容所 [by D5100]
アウシュビッツ第二収容所 [by D5100]
アウシュビッツ第二収容所 [by D5100]
アウシュビッツ第二収容所 [by D5100]
アウシュビッツ第二収容所 [by D5100]

次は3キロほど離れた第二強制収容所。通称ビルケナウ。ここは第一収容所だけでは収まり切らないために作られた最大規模の収容所らしい。敷地は第一収容所とは比べられないほど広大で、入り口に向かってまっすぐ線路が敷かれていた。実質的にユダヤ人絶滅施設として機能していたこの場所に、多くのユダヤ人がトロッコで連れ込まれた。彼らを待っていたものは、労働ではなく灰になる運命だった。

ビルケナウはのどかな草原で、知らずに農場だと言われたら簡単に信じてしまうだろう。少なくともここが絶滅収容所だったとは絶対に分からない。第一収容所のような閉塞感がなく、60年以上も経った今ではこの地と大量虐殺という事実をうまく結び付けることは難しい。修学旅行と思しきポーランドの学生団体を横目に、僕は広大な収容所をしばらく歩いた。

現在、ナチスによって殺されたユダヤ人の数には諸説あり、きっと正確な数字は永遠に分からないだろう。ただ、ユダヤ人がユダヤ人という理由だけで死ぬ以外に道のない収容所に送り込まれたのは事実であり、被害者数や処刑方法などは本質的な問題になりえない。僕に出来ることは微々たるものだと思っても、ユダヤ人が詰め込まれた窓のないトロッコを見ると、こういう悲劇が二度と起きないようにと祈らずにはいられなかった。


駅ビル [by D5100]
駅ビル内部 [by iPhone5]
駅ビル内部 [by iPhone5]

帰りは2時間近くかけてクラクフ本駅に戻った。朝食しか食べていないので、僕の空腹はピークを迎えていた。幸い駅のすぐそばに駅ビルがあったので、その中のフードコードで食事。人々が談笑しながら食事をしている姿を見ると、惨劇は過去のものになったのだと実感できる。

選んだのはセルフ式のポーランド料理の店。注文の仕方を聞いたら、店員のお姉さんにどこから来たのかと聞かれた。僕が日本からと答えると、あいさつを教えてくれと目を輝かせるお姉さん。僕はおはよう、さよなら、ありがとう、おやすみなど秘伝の日本語をいくつか伝授した。そしてお会計。おつりを渡す時にお姉さんが言った言葉は何故か「ようこそ!」だった。このフードコートで、僕は世界の平和を改めて実感した。

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