シルクロード / Silkroad Part.9-1 (紅山公園)

バスの中 [by iPhone5]
自転車 [by D5100]

ウルムチに来たのはいいものの、ここは観光スポットが少ないし、率直に言って特にすることがない。そうなると僕の興味をそそる唯一のものは、どこにいるのかわからないウイグル人の存在。ウイグル人はこの辺りに住む少数民族で、チベットほど知られてはいないが、中国政府による弾圧により今も迫害を受けている。が、これは単なるWikipediaの説明と同じで、現実に何が起こっているかはこの目で見ないと分からない。

しかし、僕はここに人権活動をするためにやってきたわけではないので、何はともあれウイグル料理なるものを食べに行くことにした。実は前日事情通の友人より、ラグマンという麺料理がおいしいとの情報を入手していた。ついでに「ラグマン・バルム (ラグマンを下さい)」という、大半の日本人が一生使わないであろうウイグル語のフレーズを教えてもらった。僕は他にも最低限の挨拶くらいは覚えたほうがいいと思い、「ヤフシムスィズ(こんにちは)」と「ラフメット(ありがとう)」」をウェブで学んだ。

ホテルを出て、まずは近くのバス停へ。バスは5本ほど出ており、中心地と思われる紅山公園の方向のバスに乗り込んだ。料金は一律1元(≒15円)で前払い制。困ったのは、車内アナウンスは全て中国語で、降車ボタンすらないこと。僕は慎重に外を見ながら、繁華街らしい地域で途中下車した。降りて道路を見ると、とてつもないサイズの荷物を乗せた自転車が軽やかに走っていた。


ウイグルレストラン [by iPhone5]
レストランの中 [by iPhone5]

僕が降りたのは、紅山公園にはまだ少し距離がある児童公園というところ。飲食店はちらほら点在していたので、この界隈を散策してみた。すると、遠くに明らかに漢民族ではない人が入り口に座っているレストランを見つけた。恐る恐る近づいて、入り口にあるピラフのような食べ物を覗き見。隣には僕をいぶかしげに見るつば無し帽の男性店員。ウイグルレストランに間違いないと確信し、僕は「ラグマン・バルミ?」と言ってみた。勇気を出して初めてのウイグル語。店員は僕の発音のまずさに苦笑いを浮かべつつ、中に招き入れてくれた。

注文したのは鶏肉のラグマン。中国語で「拌麺」と書くことが分かった。しばらく待っていると、出されたのは麺の皿と具材の皿。豪快に具を麺に乗せたら、ものすごいボリュームになった。味はあっさりしていて、全く辛くない。麺は完全にうどんだった。トマトとピーマンがたくさん乗っているので、イタリア風の焼きうどんとでもいうと分かりやすいだろうか。実は連日の激辛料理でお腹の調子があまり良くなかったので、この優しい味は嬉しかった。


屋台 [by D5100]
ざくろの屋台 [by D5100]
ざくろ [by D5100]
カップル [by D5100]
昼寝するイヌ [by D5100]

満腹になったら、運動がてら紅山公園の方向に向かって徒歩。しかし、このまま進んでも迷うだけだと判断して、来た道をおとなしく戻って再びバス。今回は無事に紅山市場と呼ばれる停留所に降りることが出来た。紅山周辺は人通りが多く、予想通り活気に溢れていた。特に気になったのは、ざくろやぶどうを売るウイグル人が多かったこと。実際のところ、僕は彼らがウイグル人なのかカザフ人なのかキルギス人なのか分からない。ただ、顔つきはアジア系でも彫りが深く、東アジアの民族でないことだけははっきり分かった。


紅山公園の寺 [by iPhone5]
赤い花 [by D5100]
ウルムチ全景 [by D5100]

1時間ほどさまよって、ようやく紅山公園に到着。この公園はただの広い公園なのだが、高台に上るとウルムチを一望できるらしい。息を切らして公園の階段を上ると、僕の目の前には色彩豊かな3階建ての寺。早速中に入って、僕は最上階からウルムチを眺めた。高層ビルで埋め尽くされているウルムチは、こうして見ると東京と変わらない。どんな国に行っても、やはりビルは無機質な鉄の塊。しかし、このありきたりな都会の風景が砂漠の真ん中に存在していると考えると事情は異なる。画一的な人類の技術がむしろ偉大に思えてくる。

大都会ウルムチを定点観測した後は、無目的な旅の始まり。既におやつの時間になっていたので、露店で三角形の妙な食べ物を買ってみた。はんぺんのようなものを想像していたのだが、パンに辛い調味料を塗りたくっただけの超庶民派ジャンクフード。こういうものを食べるからお腹を壊すのだと自戒しつつも、日本人的な習性により全部平らげてしまった。辛いものを食べた後は、飲み物が欲しくなる。僕は隣の露店でベールを被った女性から水を買った。が、キャップを捻ると何故か泡が吹き出て手がべとべと。それはサイダーだった。言葉の通じない国では、水さえ満足に買うことができない。

(続く)

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