シルクロード / Silkroad Part.3-2 (兵馬俑)

始皇帝像 [by iPhone5]

タクシーのトラブルは結局何事もなく解決し、僕は無傷で兵馬俑にたどり着くことが出来た。運賃は高速代などを入れて120元(≒1,800円)。手痛い出費だがやむを得ない。タクシーを降りる時、「謝謝」とお礼を言ったら、朴訥とした雰囲気の運転手は乾いた笑顔を浮かべて、兵馬俑の入り口の方向を教えてくれた。

兵馬俑は思った以上に巨大な施設だった。入り口には、僕を断罪する裁判官のように威圧的にそびえる始皇帝像。奥に進んでチケット売り場を探していると、スーツの女性に話しかけられた。どうやら彼女はこの施設の日本語ガイドらしい。正直ガイドは不要だったが、彼女の切羽詰った鬼気迫る迫力に負けて、正規料金らしい120元で承諾してしまった。きっと日本人観光客の減少で懐事情が厳しいのだろう。それに、バスでの帰り方さえ聞ければ、ガイド代はタクシー代だと思えばいいと考えていた。


ビャンの漢字 [by D5100]

ガイドの名前は劉さん。僕が中へ入る前に食事をしてくると言ったら、劉さんはお勧めの料理があると、近くの食堂に連れて行ってくれた。そのレストランには客が全くおらず、店員は卓を囲んで雑談していた。ここで食べたのはビャンビャン麺という麺料理。漢字で書くと恐ろしい画数になるので変換は不可能。ベルトくらいありそうな極太麺は、コシが強くて食べ応えがあった。元々フェットチーネやきしめんなどの平打ち麺が大好きなので、この料理には大満足。毎日食べても飽きないだろう。唯一の難点は、とにかく辛いこと。飲み物なしには絶対食べられない。ちなみに一緒に出てきた飲み物は、お茶ではなく麺を茹でたお湯。薄っすら塩味で、喉越しはぬるりとしていた。


馬のオブジェ [by iPhone5]

食事を済ませて、僕と劉さんは入り口に向かって歩いた。その入り口までがやたらと遠くて、徒歩10分はかかる距離。並んで歩きながら、劉さんは僕の年齢を聞いてきた。僕が正直に答えたら、全然見えないと驚いていた。彼女からすると、日本人はみんな5歳ほど若く見えるらしい。そして、その理由を食べ物や水や「心の姿勢」だと言っていた。


兵馬俑 [by iPhone5]
兵馬俑 [by iPhone5]
兵馬俑 [by iPhone5]

兵馬俑は、3つの博物館からなっていた。一番大きな兵馬俑は体育館くらい大きさで、そこには人間と馬の石像がずらりと並んでいた。僕はもっと広大な敷地を想像していたが、それでも立ち並ぶ石像群には圧倒される凄みと不気味さがあった。

秦の始皇帝はまだ10代の頃からこの墓を作り始めていて、その死に対する執着、言い換えれば死に対する恐怖は度を超えていると感じざるを得ない。彼は不老不死を求めた結果、水銀をその秘薬と考え中毒死してしまった。永遠を夢見て反対に命を縮める人生の皮肉。兵馬俑の無数の石像は壮大だったが、その壮大さは大陸を統べた狂人の叶わぬ夢と、労働に駆り立てられた貧民の怨嗟の象徴でもあった。

一通り兵馬俑を見て、劉さんとはお別れ。単にテキストを読んでいるような案内で、あまり有用な情報は聞けなかった。ただ、別れ際に8元で帰れるシャトルバス乗り場を教えてもらえたので助かった。


兵馬俑 [by D5100]
兵馬俑 [by D5100]
兵馬俑 [by D5100]
兵馬俑 [by D5100]
兵馬俑 [by D5100]
兵馬俑 [by D5100]

劉さんと別れた後は、ひとりで兵馬俑に戻って写真撮影。露出を上げ下げしながら、モノクロで試行錯誤。連休の混雑で、中国人に揉まれながらのむさ苦しい撮影会になってしまった。撮影していくうちにだんだんと一眼レフ、というよりレンズの特性が分かってきたのが大きな収穫。


夕方の西安駅 [by iPhone5]
西安駅の人混み [by iPhone5]

帰りは、教えてもらった8元のバスで西安駅に戻った。窓側の席に座ったので、気がつけば窓に寄りかかってうつらうつら。何だか周りで聞こえる中国語が耳に馴染んできて、子守唄のように響いてきた。

西安駅に着くと、太陽はみんなにお別れを告げている最中だった。それとは対照的に、西安にいる人々はいつまでたってもせわしなく西安駅前の広場にたむろしていた。彼はこの広い大陸のどこから来て、どこへ向かうのだろう。


夕飯は、昨日と同じフードコートで焼きそばを注文。見た目は日本の焼きそばと変わらないが、使っているソースが全く違う。色んなエキスを凝縮したようなソースは、辛さと調和して非常に濃厚な味わいだった。これなら白米のおかずとして十分食べられる。急いで食べて時折むせながら、僕はゆうに大盛り以上はありそうな焼きそばを完食。帰りはタピオカ入りのミルクティを飲みながら、ようやくまともな観光が出来たことを喜んだ。旅が軌道に乗ってきたと考えると、疲れと痛みで重くなった足取りがいつのまにか軽やかになっていた。

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