ラオス / Laos Part.7 (ルアンパバーン)

托鉢 [by iPhone4 + PhotoShake]

翌日は朝5時に起きて噂の托鉢へ。上座部仏教では、戒律上仕事を禁じられているお坊さんが托鉢という形で食べ物をもらう習慣がある。目を擦りながら外に出ると、まだ街は暗い。托鉢がどこで行われいるかもわからず、僕は不安と手をつなぎながらマーケットの方へ。すると、母親と5歳くらいの娘に声を掛けられた。母親は果物とお菓子が入った皿とご飯が入った筒を持っており、娘は御座を持っていた。どうやら観光客も托鉢に参加できるらしい。

「あなたは運がいいわ」と女の子は言った。どうやら僕の目の前の寺からお坊さんが出てくるらしい。彼女は僕を手招きして、ままごとで使うような小さな御座を歩道に引いてくれた。そして仕上げとして僕に謎のたすきをかけた。托鉢の援護射撃の準備は完了。6時過ぎ、お坊さんが寺から列を成して外へ出てきた。崇高さこそ感じなかったが、オレンジの服装は否応なく目立つ。僕は初めてで何が何だか分からず、彼女がよそったご飯に果物とお菓子を添えて、急いでお坊さんの持っている釜に入れた。お坊さんの歩調は速く、全員にはとても渡せない。托鉢の難易度高し。托鉢後は、お坊さんを追いかけて写真撮影をした。しかし、まだ薄暗い空の下で素早いお坊さんを捉えるのは非常に難しく、加えて露骨にお坊さんを撮影するのは正直気が引ける。撮影は散々な結果に終わった。


空 [by iPhone4]

托鉢をもってラオス旅行は終わり。ルアンパバーンの方が観光地として完成されており、もっと早く来ればよかったと後悔。とはいえ、ラオスという何の前知識もない国の2都市を旅行したのは有意義だったし、単純に楽しかった。仏教国は比較的温和な人々が多いが、ラオスはその中でも一番だと感じた。こういう人々が資本主義社会で評価されないのは残念だが、これは資本主義社会に毒された考え方なのかも知れない。

僕たちはお金が必ずしも幸せをもたらすものではないという現実を日々目撃している。もしかするとお金が少ない国の人々の方が、より精神的にゆとりのある生活を送っていることにも気づいている。しかし、お金がないということはそれだけ生活の選択肢が減るということでもある。ラオスの裕福ではない人々は、僕のように海外に行くことはできないだろうし、いざという時に十分な医療にかかれないかも知れない。僕たちが東南アジアで出会うゆるやかな生活を営んでいる人々の大半は、本人が希望したのではなく、そうする以外に道がないのだ。つまり、問題はあらかじめ選択肢を用意された人々の双肩にのしかかっている。何を諦めて何を求めるのか。煩悩と真摯に向きあう必要があるのは、むしろ僕たちのような気がする。

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