ギャンブルの余韻が冷め切った翌日の午前中、もうひとつのマカオ名物とされる蟹のお粥を食べるために出かけた。目的の店は見たところ極々普通の店構え。ところが開店食後に入ったにも関わらず、料理が出てくる頃にはもう満席になっていた。肝心のお粥は蟹の主張が少ない滋味あふれる味わい。悪くないが、普段高い塩分に飼い慣らされている僕にはパンチが足りなかった。
満腹になったらフェリー乗り場で皆と別れてひとり旅の始まり。全くマカオの知識がないので、とりあえず勧められた新馬路へ行ってみた。タクシーを降りたところに立ちはばかる、Grand Lisboaの間違った近未来感に強い衝撃。Galaxy Hotelといいマカオのホテルはミニマルの対極にある。
新馬路から広場に入ると、突如マカオがヨーロッパに変貌する。その名をセナド広場。マカオは当時海の覇者であったポルトガルに植民地化され、幸か不幸かアジアのキリスト教布教の重要拠点になった。
マカオはポルトガルと中国の文化が融合されているというより、境界線を引いてしっかり住み分けている。だから、セナド広場を少し外れただけで、この地にじっとりとこびり付いている中国文化が顔を出す。中国文化と比べれば上澄み程度の西欧文化だが、現在マカオで西欧文化を利用した巨大な観光産業が成り立っていると考えると、歴史の善悪を語ることがいかに難しいかがわかる。もしかするとキリストはマカオを救ったのかも知れない。
引き続きマカオ散策。聖ポール天主堂跡を見ようと汗だくで歩を進めると、人が湧くように増えていった。のろのろと人にぶつかりながらしばらく歩くと、遠め目に巨大な西洋建築物が見えた。よくよく観察すると建物の正面だけがかろうじて残っている薄っぺらな廃墟。しかし、建物に向かう巨大な階段がその廃墟に妙な風格を与えていた。
廃墟を見た後は、すぐ横にあるモンテの砦へ。階段が多く、引いた汗がまた吹き出し始めた。ここは諸外国を撃退するために作られた砦らしい。いわば中国版の尊皇攘夷の跡。観光客がこぞって大砲を背景に写真を撮っていたが、人を殺す武器と記念写真を撮る行為に静かな狂気を感じる。
観光を一通り終えた僕は、坂を下りて無目的に歩き回ることにした。時々見えるLisboaがいちいち気になり、自分が恋に落ちてしまったのではないかとハッとした。辛い恋の始まりの予感。
香港へは贅沢にデラックス席のフェリーで帰った。デラックス席では食事が出ると知らずに、僕は船に乗る前に牛肉のあんかけ焼きそばとエッグタルトを食べてしまった。激しい後悔と満腹感。船内では隣の人のうるさい話し声と、激しく窓ガラスに打ち付ける雨の音が絶えず聞こえていた。しかし、鈍い揺れに身を任せていると自然と瞼が重くなり始め、気がつけば香港に戻っていた。