久しぶりに晴天に恵まれた土曜日。大阪からの帰りがてら、京都に寄ることにした。比叡山と迷ったのだが、知人のお勧めで嵐山に決めた。こっそり紅葉の事前調査。新大阪駅は改装して見違えるようにきれいになっていた。
閑散とする嵯峨嵐山駅北口。駅にあった地図を頼りに、まずは歩いて清涼寺。寺にいた親子連れのかわいい幼女を写真に収めようとするも、変質者に思われたら嫌なので断念。一体、幼女=性の対象という考えが社会通念になったのはいつからなのか。
続いて二尊院。ここには歴史的に有名な人のお墓がたくさんある。注目したいのは公家の嵯峨家。清朝のラストエンペラーの弟と結婚した嵯峨浩はこの家の出身。心中を遂げた愛娘の慧生の遺骨がここに一時期納められていたらしい。
余談だが、嵯峨浩の自伝である「流転の王妃」で、娘の非業の死を知った溥傑(ラストエンペラーの弟)が手紙に書いた一節が未だに胸に刺さっている。いわく、清朝の血を享けた娘が幸薄であることは宿命とでもいうのか?
次は祇王寺。寺の前には人だかり。さぞ人気の寺かと期待して入ると、眼前に緑豊かな庭園が広がった。苔むす地面が涼やかで、人がいなかったら深閑とした雰囲気をじっくり味わえただろう。色々な種類の苔が生えているらしく、庭園の片隅に苔の解説コーナーがあった。おそらく苔マニアの聖地。
祇王寺を後にして、あだし野念仏寺へ。ここの見所は、無縁仏を供養した無数の石仏群。これは空海が野ざらしの遺体を葬ったことに始まるらしい。水子供養の場所もあり、要するに不遇の死を遂げた人々のための墓場なのだろう。不信心な僕だが、ここではしっかりお祈りをした。1,000年以上の時を経て、子孫が来るとはまさか無縁仏も思わないだろう。死にもロマンあり。