ハンブルク名物のシナモンロールを食べる


ブクステフーデのショートツアーを終え、次はリューベックへ向かうべくハンブルク中央駅へ移動。地方都市の穏やかな空気から一転、大都市ハンブルクの駅は人の流れが速く、どこかせわしなかった。
せっかくなので、ここで ハンブルク名物のシナモンロール を買ってみることにした。その名は フランツブロートヒェン(Franzbrötchen)。見た目は完全に潰れたパンで、焼きたてをうっかり踏んでしまったかのようなフォルム。どうやら、これは意図的に潰しているらしい。
ひと口食べると、シナモンの香りがふわっと広がる。甘さはちょうどよく、コーヒーと相性抜群の味わいだ。ただ、見た目以上にずっしり重く、これひとつで1食分に匹敵する満腹感。
ハンザ同盟の名残を感じる街、リューベックへ


ハンブルクから北東へ約1時間、リューベック(Lübeck)に到着。
リューベックは、中世にハンザ同盟の盟主として繁栄した都市 で、北ドイツを代表する歴史的な街のひとつ。ハンザ同盟とは、一言でいうと経済的な都市連合。最盛期には70もの都市が加盟していたらしく、これを知ると ドイツの国家統一が遅れたのも納得きる。
この地方分権の風土は言語にも反映されており、ドイツは 地域ごとに方言の違いが激しい。特にハンブルクで話される低地ドイツ語(Plattdeutsch)は、他の地域のドイツ語とかなり異なるらしい。





リューベックの旧市街は世界遺産に登録されており、その入口を飾るのが ホルステン門(Holstentor)だ。レンガの重みで真ん中が陥没して傾いているらしいが、言われなければ気づかない。いわばドイツ版ピサの斜塔。
門をくぐると、ゆるやかな上り坂が続く。そして、しばらく歩くと豪華なゴシック建築が見えてきた。この壮麗な建物は、なんと リューベックの市庁舎。
行政施設にしてはあまりにも派手すぎるが、実際に 今も市庁舎として機能しているらしい。日本もお城を行政機能に使えば面白いことになりそう。
ドイツ名物マジパンの老舗、ニーデレッガーへ




市庁舎の反対側に出ると、ブライテ通り(Breite Straße) という大通りに出た。
ここからでも市庁舎の存在感は圧倒的だが、それ以上に通り沿いの建物のひとつひとつの装飾が緻密かつ豪華で驚く。これらが一気に視界に飛び込んでくると、ヨーロッパの文化の強度に悪酔いしそうになる。
この通りに来た目的は、先輩おすすめの ニーデレッガー(Niederegger)というマジパンの専門店に行くため。マジパンは ドイツ名物のチョコ菓子 で、アーモンドペーストをたっぷり使った濃厚な味わいが特徴らしい。
店内には、カラフルな包装のマジパンがずらりと並び、お土産選びにはぴったりの場所。ここでいくつかお土産を購入し、ついでに2階のカフェのトイレも借りた。ちなみに、ヨーロッパ旅行で困ることのひとつが 街中のトイレが極端に少ないこと。そのため、
「トイレは行けるときに行っておくべし」
これが鉄則。
聖マリエン教会、ゴシック建築の持つ聖と邪の狭間







次に向かったのは、市庁舎近くにある 聖マリエン教会(St. Marien)。赤茶色のレンガが印象的なゴシック様式の教会で、中に入ると天井がとてつもなく高く、厳粛な空気に満ちていた。
キリスト教は、天使と悪魔の二元論を基調としているが、ゴシック建築の持つ雰囲気はそのどちらにも振れそうな危うさを秘めている。荘厳でありながら、どこか妖しげでもあり、神聖さと不気味さが紙一重のバランスで共存している ように思える。
対照的に、東方正教会の教会は「聖」の要素が圧倒的に強いように感じる。この違いは、宗教性というより、むしろ民族性の現れなのかもしれない。
ペストが生んだ「死の舞踏」
この教会で特に興味深かったのが、ペストの巻物。通称「死の舞踏」と呼ばれ、骸骨と王族が手を取り合い、踊っている様子が描かれている。
解釈が難しい、この不気味な絵。ペストが猛威を振るった時代は、死が身近だったとも解釈できるし、悲惨な死を迎えた人たちを慰める必要があったとも思える。
しかし、ペストという災厄をキリスト教的価値観で捉えるなら、それは神からの罰ではないのだろうか。そう考えると、神罰と共存するように骸骨と踊る王族たちの姿は、どうにも腑に落ちない。
コロナ禍が僕たちの価値観を変えたように、ペストもまた、当時の人々の世界観を大きく揺るがせたのかもしれない。だとしたら、この絵の持つ矛盾そのものが、価値観の地殻変動の始まりを物語っているとも言える。
(続く)