Hallesches Tor駅から10分ほど歩いてユダヤ博物館に到着。セキュリティチェックが厳しく、入るまで結構時間がかかった。外観から気になっていたが、この博物館は利用者が利用しやすいような設計はされておらず、むしろ意図的に不快とも取れるようないびつさを建物の構造自体で表現している。
展示作品も独特で、空中でスピリチュアルなドラムを叩いている映像、ユダヤ人が何人も重なってひとつのメッセージを発する映像、そして真っ暗で何も見えない空間など、どれもが観る者の不安を掻き立てる。この博物館は他と異なり、観る側が価値判断をする前に、観られる側が観る側に何かを考えることを要求する。しかし、観る側がどう感じようと、この不可解な展示群にユダヤ人の抱えた傷を癒し、失われたものを取り戻そうという想いが宿っていることは確かだ。
最も印象深かったのは、薄暗い空間で金属の顔を踏みつけながら歩くFallen Leavesという体験型の展示だ。一歩進む度に鋭い金属音が高い天井で反響し、歩くものの精神を逆撫でする。ここを歩いた人は誰であれ、否が応でもホロコーストで失われた声無き声を感じ取っただろう。犠牲者との時空の垣根を超えるという点でこの展示には大きな価値がある。ダークツーリズムにおいて歴史を理解するということとは、被害者をすぐそばに感じることなのではないか。歩き終わり、金属音を遠くに聞きながらそんなことを考えた。
最後はユダヤの文化が展示されているフロアに行った。壁一面のヘブライ語に圧倒されるが、雰囲気だけでも独特のユダヤの歴史や習俗を知れるのは面白い。出口に差し掛かった時、壁に映し出されたユダヤ人が「ユダヤ人とは何か」について語っている展示があったのだが、これには色々と考えさせられた。程度の差はあれ、悲劇を経験してなお全員がユダヤであることを強く誇りにしていた。むしろ、悲劇がその独自のアイデンティティを強めたと言うべきか。それにしても、ここまで人間を規定し、それを精神的支柱にさせる「民族」とは一体何だろう。
興奮冷めやらぬまま、すっかり日が暮れた冬のベルリンを歩いた。先輩からベルリンと言えばケバブと聞いていたので、夕食はケバブと決めていた。しかし、近場の有名店に行ってみたら混んでいて入れず。次のお店を探そうとスマホをいじっていたら、偶然にもチェックポイント・チャーリーを見つけた。ここは東西ベルリンを行き来する時の検問所で、記念写真スポットになっている。博物館も隣接しており、時間があれば見に行きたかった。
しばらく歩いて、目当てのケバブ屋の近くに来たらショッピングモールがあった。その名もMall of Berlin。中に入ったらケバブ屋もあったので、目当ては諦めてここで食事をすることにした。結局、空腹には勝てない。注目したのは普通サイズのケバブだったのだが、量がとんでもなく、具材が飛び出てケバブが嘔吐しているように見える。ヨーロッパではこの手のケバブ屋をどこでも見かけるが、このスタイルはベルリンが発祥らしい。
朝から夜まで歩き倒して、ホテルに着いたら全く出歩く気が失せてしまった。ここからバーやクラブに行けたら100点満点だが、ひとり旅の場合、相当テンションを上げないと難しい。それにしても、海外にいると日本よりも疲れを感じずに活動できてしまう現象を何と呼べばいいのか。精神が肉体を凌駕するのか、はたまた元気を前借りしているだけなのか。いずれにせよ、帰国後の重要な研究テーマとして心にとどめておこう。