足尾銅山 / Ashio Copper Mine Part.2 (谷中村)

谷中村跡地へ、歩いてひたすら進む

渡良瀬貯水池沿い [by iPhone11]
県境 [by iPhone11]
渡良瀬貯水池沿い [by iPhone11]

翌日は谷中村を目指して電車で移動。最寄りの板倉東洋大前駅から のどかな景色に惹かれて歩くことにした。

レンタルサイクルもあったが、「自然を感じながら歩くのも悪くない」と思ったのが運の尽き。実際に歩いてみると 谷中村跡地は想像以上に遠く、早々に 軽率な判断を後悔する ことになった。

ここで 谷中村の歴史を簡単におさらいしたい。

19世紀後半、足尾銅山の鉱毒 が渡良瀬川を汚染し、下流域の 農作物に甚大な被害 が発生した。これを受け、政府は 鉱毒を貯めこむ貯水池を作る ことに決定。その 建設予定地になったのが谷中村 だった。

しかし、問題は 政府の対応。住民に 十分な補償をせず、土地を安く買い上げ、果ては反対を続ける住民の住居を 強制的に破壊した。

つまり、国策の名のもとに 村を消し去る という強硬策が取られたのだ。

そして、この 政府の横暴に生涯をかけて抵抗 したのが、元衆議院議員・田中正造 である。

忘れ去られた者たちの慰霊碑

合同慰霊碑 [by iPhone11]
慰霊碑 [by iPhone11]

延々と歩いた先に広がるのは 渡良瀬遊水地。ここが、かつて 谷中村が存在した場所 である。

ここから 東へ進めば谷中村跡地 だが、その前に 寄っておきたい場所があった。それは、貯水池の外れにある 合同慰霊碑。

この地で劣悪な環境に耐え、抵抗を続けた人々 がいた。その過程で 命を落とした者も少なくなかった はず。

経済成長の名のもとに 犠牲になった住民たち。「時代が違う」と言ってしまえばそれまでだが、
彼らの人生を思うと、ただただ不憫と言うほかない。

それにしても、なぜこんな目立たない場所に慰霊碑を建てたのだろう。

いろいろと 邪推したくなる気持ち を抑えつつ、慰霊碑の前で 静かに手を合わせた。

谷中村跡地、歴史の痕跡を探して

雷電神社跡 [by iPhone11]
枯れ木 [by iPhone11]
渡良瀬遊水地 [by iPhone11]

渡良瀬遊水地の北端からひたすら東へ歩き続け、ようやく 谷中村の跡地 に辿り着いた。

ここは今、公園として整備 されていて、家族連れがピクニックを楽しんでいる。かつてここで起きた 不幸な歴史 は、まるで 湖の底に沈んでしまったかのよう だった。

跡地には 説明書き と 標木 があるのみで、当時の面影を感じさせるものは ほとんど残っていない。

だが、健康を害してでもこの地に住み続けた住民たち もかつて同じ景色を見ていたのだと思うと、木々の奥を探せば、今も彼らに出会えるのではないか
――そんな感覚がふとよぎる。

田中正造が何度も足を運び、住民たちの 精神的な支柱 でもあった 雷電神社跡 も、この場所の記憶を 静かに語り続けている ようだった。

彼らが守りたかったもの

谷中村が廃村に至る過程で、権力側の横暴 があったのは間違いない。しかし一方で、栃木県側も住民の生活を考え、いくつもの対案を出していた という。

それでもなお、住民たちは破滅を恐れずに移住を拒み、抵抗を続けた。

彼らがそこまで 守りたかったもの、つまり、彼らのアイデンティティとは何だったのか。

隣人と関係性、先祖代々の歴史、変化への恐れ、権力に対する不信感・・・。考えれば きりがない問い だが、ひとつだけ確かなのは、その時代を生きた者にしか分からない「何か」があったということ。

跡地を一通り巡り、鉱毒をめぐる小旅行 はここで幕を閉じた。

原型を まったく留めていない廃村 を訪れるという体験。それは、共感することの難しさと嬉しさ の両方を与えてくれるものだった。

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