久しぶりにルワンダ関連の本でも読もうかと色々検索していたら「Nyamata」の文字が目についた。どうやらこれはニャマタ教会の大虐殺を生き延びた生存者の手記らしい。筆者はその時10歳だったので、記憶を遡っての描写や考察には限界があるし、この本自体自身の体験をかなりコンパクトにまとめているので、ルワンダ虐殺についてより深い知識が得られると言うよりは、書くことでトラウマ体験を克服しようとする筆者のお手伝いをする感覚に近い。
閉じ込められた教会に手榴弾を投げ込まれて、残った人々は自動小銃とナタ(Machete)で後始末された状況で生き残っただけでも筆者は相当な強運だし、その後1ヶ月以上もほぼ飲まず食わずでヤブの中で逃げ続けられたのは奇跡というしかない。一方、隠れる生活に疲れ切って、血塗れのシャツで人目につく道路を歩くようなった気持ちを思うと胸が痛む。彼にとって生の渇望は常に死の受容と表裏一体だった。
手記の後半、大学で生存者の支援をする著者は「記憶の中で襲ってくる虐殺者からどうやって逃げればいいのか?」という言葉を投げかける。これはトラウマ体験の克服の難しさを的確に表現していると思う。現実は過ぎ去っても、トラウマは被害者の中に永遠に留まり心を蝕み続ける。ただ、もし前向きな言い方が許されるなら、生存者がいる以上、虐殺の記憶はその土地に残り、その記憶が抑止力として社会に根を張り、悪の芽を摘み取る土壌になっていくことになる。筆者が自分に言い聞かせるように言う「希望」にどこまでの意味を込めているかは汲みきれなかったが、希望のひとつの形はきっとこんなことだろうとぼんやり思った。