ルワンダ / Rwanda Part.3-2 (キガリ市内)

ルワンダ名物(?)ビュッフェに初対面

教会 [by iPhone8]
Fantastic Restaurant [by iPhone8]

2時間半かけて、ようやくキガリに戻ってきた。時刻はすでに夕方。ニャンザでもニャマタでも満足に食事ができず、バスの中ではもはや レストラン探し がメインのアクティビティになっていた。

そんな空腹の僕が選んだのは、キガリ中心地にある Fantastic Restaurant。正直、店名からは一切の期待が持てないが、調べたところルワンダで一般的な ビュッフェ形式のローカル料理を安く提供している店 らしい。

お店に入ると、案の定 電気はついておらず、中はとにかく闇い。勝手が分からず店員に声をかけると、さらに奥の ビュッフェエリア を案内された。

そこには10個ほどの大皿が並んでいたが、内容はイモ系が多く、なんともテンションの上がらない。何を取ろうか迷っていたところ、後から来たおじさんが バナナの煮物とキャッサバ を勧めてくれた。

ちなみに、ルワンダのビュッフェには 一回盛り切りルール があるため、とりあえず全種類を少しずつ盛ってみた。

プレートの上はイモ、米、パスタという 炭水化物の祭典。味付けは優しくて決してまずくはないが、特筆すべき旨味があるわけでもない。バナナの煮物に至っては もはや無味

もしルワンダ旅行に来た友達がビュッフェと食べ損ねたとしても「ルワンダに行った意味ないじゃん!」とは絶対に言わないだろう。そのくらい 極々普通の庶民の味

繰り返しになるが、決してまずくはない。

食後は、ルワンダ名物のコーヒーで

デパート [by iPhone8]
Café Camellia [by iPhone8]

ビールでほんのりいい気分になった僕は、勢いそのままに喫茶店へはしご することにした。というのも、ここまで来て ルワンダ名物のコーヒーを一度も飲んでいない ことに気付いたからだ。

向かったのは、レストランのすぐ近くにある Cafe Camellia。評判も上々で、しかもショッピングモールの 最上階にある絶景カフェ。テラス席からはキガリの街並みを一望できる。

メニューをじっくり読み込み、僕が選んだのは コーヒーとパンケーキ。コーヒーはなぜか 紅茶のようなティーポット で提供され、なんと3杯は飲める大容量。これで数百円なので、コスパは驚異的 だ。

肝心の味はというと…味はそもそもよく分からないので評価不能。おいしいと思う。

お土産探しは、まさかの中華系スーパーで

中華系スーパー [by iPhone8]
中華系スーパー [by iPhone8]
中華系スーパー [by iPhone8]

満腹になって元気を取り戻した僕は、そろそろ お土産を買っておこう と思い立ち、近くのスーパーマーケットへ立ち寄ることに。入ってみて驚いたのは、ここは完全に 中華系スーパー で、中国の食材や日用品がずらりと並んでいた。

中国人は世界のどこにでもいる とはよく言ったもので、アフリカのど真ん中でもしっかり存在感を発揮している のには脱帽。ちなみに補足しておくと、ルワンダの街中に設置されているゴミ箱も、ほとんどが中国製 だったりする。

歩くことで見えてきた、ルワンダ人の気質

帰り道 [by iPhone8]
帰り道 [by iPhone8]
帰り道 [by iPhone8]

日も暮れてきたので、キメニーさんの家に戻ることにした。夕方のキガリは 涼しくて心地よく、何より景色が美しい

だか、移動はあえてモトを使わず、毎日歩いて帰ると決めている。車両の方がもちろん楽だが、その土地の人が歩く道を歩き、その空気を吸うことが旅の本質 だと僕は思う。

道すがら、ルワンダの人々を観察してみる。皆どこか 物静かで、ゆったりとした時間の中にいるよう に見える。日本のように大声で騒いだりするグループはほとんど見かけない。

一方で、どこかに 薄いバリアを張って、他人と必要以上に関わらないようにしている ような空気も感じられる。『ジェノサイドの丘』の著者、Philip Gourevitch氏 は、ルワンダ人の気質を「権威に対して従順で秘密主義的」と書いていた。

それを思い出して、なるほどなと頷く。この国の静けさには、歴史的な背景が確かに沁み込んでいる のかもしれない。

そう思うと、他人に迷惑をかけないように生きる日本人の姿ともどこか重なる ような気がした。

※ちなみに、ニャマタの一件もあり、以降一眼レフは封印。とにかく目立つし、穏やかなルワンダの人々の生活を邪魔しかねない。そのため、今回の旅行の写真は全てiPhone。

静けさの中で巡り続ける問い

帰り道 [by iPhone8]
帰り道 [by iPhone8]
帰り道 [by iPhone8]

キガリ市内の中心部にはビルが立ち並ぶが、少し外れると 街灯ひとつない未舗装の道 になる。太陽という唯一の光源が沈み始めると、周囲はあっという間に闇に包まれる

そういう意味では、都会とはまた違った意味での怖さがある。けれど、実際には 誰かに声をかけられることすら稀 で、あるとすれば子供たちが挨拶してくれるくらい。

それでも、とどうしても頭の中に逆説が浮かんでしまう。ここで 100万人が命を落としたという事実 が、あらゆる静けさの裏に張り付いているのだ。

今この瞬間も、通り過ぎる人々の中には、加害者も被害者もきっといる。それでも日常は、何事もなかったかのように流れていく。

──平凡な人々を虐殺へと駆り立てたものは何だったのか

この問いが、目の前に広がる美しい丘や静かな道と交差しながら、滞在中、ずっと頭の中を巡り続けた。

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