ルワンダ名物(?)ビュッフェに初対面




2時間半かけて、ようやくキガリに戻ってきた。時刻はすでに夕方。ニャンザでもニャマタでも満足に食事ができず、バスの中ではもはや レストラン探し がメインのアクティビティになっていた。
そんな空腹の僕が選んだのは、キガリ中心地にある Fantastic Restaurant。正直、店名からは一切の期待が持てないが、調べたところルワンダで一般的な ビュッフェ形式のローカル料理を安く提供している店 らしい。
お店に入ると、案の定 電気はついておらず、中はとにかく闇い。勝手が分からず店員に声をかけると、さらに奥の ビュッフェエリア を案内された。
そこには10個ほどの大皿が並んでいたが、内容はイモ系が多く、なんともテンションの上がらない。何を取ろうか迷っていたところ、後から来たおじさんが バナナの煮物とキャッサバ を勧めてくれた。
ちなみに、ルワンダのビュッフェには 一回盛り切りルール があるため、とりあえず全種類を少しずつ盛ってみた。
プレートの上はイモ、米、パスタという 炭水化物の祭典。味付けは優しくて決してまずくはないが、特筆すべき旨味があるわけでもない。バナナの煮物に至っては もはや無味。
もしルワンダ旅行に来た友達がビュッフェと食べ損ねたとしても「ルワンダに行った意味ないじゃん!」とは絶対に言わないだろう。そのくらい 極々普通の庶民の味。
繰り返しになるが、決してまずくはない。
食後は、ルワンダ名物のコーヒーで



ビールでほんのりいい気分になった僕は、勢いそのままに喫茶店へはしご することにした。というのも、ここまで来て ルワンダ名物のコーヒーを一度も飲んでいない ことに気付いたからだ。
向かったのは、レストランのすぐ近くにある Cafe Camellia。評判も上々で、しかもショッピングモールの 最上階にある絶景カフェ。テラス席からはキガリの街並みを一望できる。
メニューをじっくり読み込み、僕が選んだのは コーヒーとパンケーキ。コーヒーはなぜか 紅茶のようなティーポット で提供され、なんと3杯は飲める大容量。これで数百円なので、コスパは驚異的 だ。
肝心の味はというと…味はそもそもよく分からないので評価不能。おいしいと思う。
お土産探しは、まさかの中華系スーパーで



満腹になって元気を取り戻した僕は、そろそろ お土産を買っておこう と思い立ち、近くのスーパーマーケットへ立ち寄ることに。入ってみて驚いたのは、ここは完全に 中華系スーパー で、中国の食材や日用品がずらりと並んでいた。
中国人は世界のどこにでもいる とはよく言ったもので、アフリカのど真ん中でもしっかり存在感を発揮している のには脱帽。ちなみに補足しておくと、ルワンダの街中に設置されているゴミ箱も、ほとんどが中国製 だったりする。
歩くことで見えてきた、ルワンダ人の気質



日も暮れてきたので、キメニーさんの家に戻ることにした。夕方のキガリは 涼しくて心地よく、何より景色が美しい。
だか、移動はあえてモトを使わず、毎日歩いて帰ると決めている。車両の方がもちろん楽だが、その土地の人が歩く道を歩き、その空気を吸うことが旅の本質 だと僕は思う。
道すがら、ルワンダの人々を観察してみる。皆どこか 物静かで、ゆったりとした時間の中にいるよう に見える。日本のように大声で騒いだりするグループはほとんど見かけない。
一方で、どこかに 薄いバリアを張って、他人と必要以上に関わらないようにしている ような空気も感じられる。『ジェノサイドの丘』の著者、Philip Gourevitch氏 は、ルワンダ人の気質を「権威に対して従順で秘密主義的」と書いていた。
それを思い出して、なるほどなと頷く。この国の静けさには、歴史的な背景が確かに沁み込んでいる のかもしれない。
そう思うと、他人に迷惑をかけないように生きる日本人の姿ともどこか重なる ような気がした。
※ちなみに、ニャマタの一件もあり、以降一眼レフは封印。とにかく目立つし、穏やかなルワンダの人々の生活を邪魔しかねない。そのため、今回の旅行の写真は全てiPhone。
静けさの中で巡り続ける問い




キガリ市内の中心部にはビルが立ち並ぶが、少し外れると 街灯ひとつない未舗装の道 になる。太陽という唯一の光源が沈み始めると、周囲はあっという間に闇に包まれる。
そういう意味では、都会とはまた違った意味での怖さがある。けれど、実際には 誰かに声をかけられることすら稀 で、あるとすれば子供たちが挨拶してくれるくらい。
それでも、とどうしても頭の中に逆説が浮かんでしまう。ここで 100万人が命を落としたという事実 が、あらゆる静けさの裏に張り付いているのだ。
今この瞬間も、通り過ぎる人々の中には、加害者も被害者もきっといる。それでも日常は、何事もなかったかのように流れていく。
──平凡な人々を虐殺へと駆り立てたものは何だったのか。
この問いが、目の前に広がる美しい丘や静かな道と交差しながら、滞在中、ずっと頭の中を巡り続けた。