今年の遅すぎる夏休みは、迷いに迷ってルワンダに決めた。死ぬまでに一度はいわゆる「アフリカ」に行ってみたいと思っていたし、何よりルワンダと言えば、1990年代半ばに100万人もの少数派民族が虐殺された暗い過去を持つ国。ゆるゆる続けてきたダークツーリズムのハイライトとして、その虐殺の痕跡をこの目で見てみたいという思いも募っていた。
ルワンダというアフリカの小さな国を知ったのは、映画「ホテル・ルワンダ」がきっかけ。この頃の僕は人類の負の歴史にさほど興味がなかったが、少なくとも虐殺というものが単純な恨みつらみの集積でないことは知っていた。ルワンダの虐殺に関して言えば、歴史的な民族間の不和だけでなく、不景気による雇用悪化やラジオを通したマインドコントロールなど事情は複雑だった。そして、更に悪いことに世界はこの虐殺に対して完全な傍観者だった。
さて、当日は羽田からのレッドアイフライト(深夜便)。まずは中継地点のドーハなのだが、「23:50→23:40」というスケジュールに興奮と絶望が止まらない。地獄の18時間フライト。一体、何本の映画が観れるだろうが。
機内食を食べて、映画を観つつうたた寝をしていたら、あっという間にカタールのドーハに到着。乗り継ぎの仕方が分からないので、近くにいた筋骨隆々の職員に問い合わせたら、チケットをスキャンして方向を教えてくれた。乗換口は巨大な空港の端の端にあった。飛行機を待つ人はまばらで、人種でいうと黒人系が9割でアジア系は1割。残念ながら日本人らしき人は見当たらなかった。
驚いたことに、機内はほぼ満席。前に誰もいない座席でしばらく本を読んでいたら、早すぎる着陸態勢のアナウンスが聞こえてきた。「まさか飛行機を間違えたのか?」と焦ってCAに確認したら、どうやらルワンダの前にエンテべ [Entebbe] というウガンダの空港に着陸するらしい。チケットには何の記載もない。
エンテべに着いたら実に9割以上の乗客が降りてしまい、機内はもぬけの殻になってしまった。つまり、満員の理由はルワンダではなく、ウガンダだったということになる。嬉しいような寂しいような複雑な気持ち。間もなく清掃員が入ってきて、お掃除タイムが始まった。
エンテべから1時間ほどでルワンダの首都キガリ [Kigali] に到着。18時間のフライトで疲労困憊だが、遂にアフリカにやって来たという高揚感が圧倒的に上回っていた。ところが、さあ今から旅を始めるぞと意気込んだ瞬間、僕の到着を引き金にするかのように雨が降ってきた。最悪。幸い、雨は20分ほどでおさまった。
キガリ空港は小さな空港で、両替所と携帯ショップを見つけるのに苦労はなかった。携帯ショップは宝くじ売り場のようなこじんまりした造りで、中は電気も付いておらず、店員も(いい意味で)やる気がなかった。5分ほどで色々設定をしてもらって携帯電話は無事に開通。ちなみに、料金は設定を含め7ギガで500円程度。安い。
宿までは約7km。タクシーで行くのがベストだが、ルワンダの雰囲気を味わういい機会なので、雨に降られるまでは歩くことにした。赤土と赤い屋根の建物が新鮮で、歩きながら何度も写真を撮った。
通りを歩くのは(おそらく)全員ルワンダ人で、その肩身の狭さたるや相当なもの。初めてのアフリカということもあり、何かされるのではという緊張感がないと言えば嘘になるし、通り過ぎる人々の奇異の目が痛すぎるほどに刺さる。そんな中、学校帰りの子供たちが「ハロー」と笑顔で挨拶してくれたのは嬉しかった。彼らの笑顔で緊張は少しほぐれた。
高地にあるルワンダの気候は赤道近くにも関わらずマイルドで、長く歩くのもさほど苦にならなかった。立ち並ぶヤシの木や頭に荷物を乗せて歩く女性に異国情緒を感じる。建築中の建物も多く、ルワンダは発展中なのだろう。
1時間ほど歩いて、首都キガリの中心地に到着。ルワンダは千の丘の国と言われるように丘が多く、かつ高い建物が少ないので街の眺めが素晴らしい。休憩がてら夕暮れの街並みをしばらく眺めていると疲れも癒される。一方、景色を眺める僕への周りの目線は相変わらず痛い。
ようやく宿の住所の近くにたどり着いた。しかし、周りにあるのは戸建ての住宅ばかりで、ホテルらしいものが見つからない。仕方なく勇気を出して住所と一致する家のインターホンを鳴らしてみたら、痩身の男性が優しい笑顔で迎えてくれた。予約した宿の名前は「Kimenyi Home」。要はそのままキメニーさんの家だった。
部屋で一服して、夕食を食べに外出した。この辺りは政府系の施設が多く、飲食店自体ほとんどない。そのため、宿の近くで見つけたカフェが唯一の選択肢だった。そのカフェでルワンダと無関係のファヒータとサラダを頼むしかなかったのは残念だが、時間も時間なので致し方なし。とりあえず、何事もなく食事にありつけたことに感謝。
食事の後は、日用品を買おうと近くのコンビニへ。飾り気のない外観に少々面食らったが、中に入ると必要なものが揃っていたので助かった。ここで石鹸やら髭剃りやら飲み物を購入。
帰り道、道すがら写真を撮っていたら、警備をしている軍人に怒鳴られた。共産主義系の国家ではよくあることだが、ルワンダも政府関係施設の撮影は禁止らしい。
部屋に戻って、早速シャワーを浴びようと思ったら、お湯の出が異常に悪い。どう工夫をしても、栓を締め損ねた蛇口くらいしか出ない。仕方がないので、お湯を体に塗りつけるようにしてどうにか汗を流した。シャワーを除けば部屋も広いし居心地は悪くない。
ベッドに寝ころんで、僕はルワンダの1日を振り返った。そして、思った以上に「普通の国」だったという結論に至った。正直、虐殺と言う接頭語が付く未知の文化圏ということで、着いた直後はかなりの抵抗感があったが、街の清潔さや規律だった雰囲気には日本と近しいものを感じた。結局、事実を歪ませるのは知識不足による先入観で、信じるべきはやはり自分の両目。
余談だか、寝る時に部屋にある蚊帳を試しにセットしてみたら、これが想像以上に風通しが悪く、5分で断念。マラリヤが収まらない理由の一端が分かった気がする。