廃墟を一通り巡った後は、実際に事故があった4号炉へ。ここは数年前に、放射性物質の流出を防ぐためにドーム状の金属ですっぽり覆われた。散々廃墟を見てきた後に清潔な金属製のドームを見ると、ここが放射能とは無関係の場所に思えてくる。実際、ガイガーカウンターで計ってみると数値は0.75μSvと若干オーバーしている程度。とはいえ、ここで史上最悪規模の原発事故が起こったことは事実だし、歴史の真実を目の当たりにした感慨も当然ある。ちなみに4号炉付近から遠目に見える5号炉は、事故の影響で建設が中断されてそのままになっているらしい。
次の目的地の保育園を目指して歩いていたら、入口の目の前でガイガーカウンターがけたたましく鳴り出した。数値を見たら過去最高の2.03μSv。鳴ったのが一瞬だったので、興味本位に場所を特定しようと調査開始。数値が上がる方向に慎重に歩いていくと、茂みの中のある一点に行き着いた。これ以上は健康上よろしくないので調査はここで中止。後悔はしていない。
ある程度廃墟は見慣れてきたが、この保育園はまた強烈。至る所に薄汚れた人形が置かれていて、特に骨組みだけのベッドの上に置かれた首だけの人形には空恐ろしさを覚えた。ここまで来ると演出しているだろうと邪推したくなるが、深くは考えない。何にせよ、ここで寝ていた幼児も放射線を浴びて今も後遺症に苦しんでいるだろうと考えるとやりきれない。
最後は森の奥深くに入って、Dugaというミサイルを早期に検知するレーダーを見に行った。何故森の奥深くにあるかというと、当時この施設自体が秘密裏に作られたものだったかららしい。冷戦期に作られたものなので、アメリカをはじめとした敵国への情報漏洩を警戒したのだろう。
レーダーは巨大なハシゴを並べたような作りで、レーダーそのものの前知識がないので何が何だか全く分からなかったが、荒涼とした無機質さは圧倒的だった。単調な金属の組合せが織りなすこの建築物はミニマルの極致とも言える。
巨大レーダーを最後に、チェルノブイリツアーは終了。過ぎてみれば、非日常の連続で夢のような時間だった。僕は確かに30年越しに史上最悪規模の原発事故の目撃者になり、チェルノブイリがファンタジーではなく実在することをこの目で確認した。そして、あの金属のドームから溢れた放射性物質により、これほど広範囲に人が住めなくなる現実を肌で感じることができた。
負の象徴としてのチェルノブイリを体験すると、否が応でも放射能との向き合い方について考えなければいけないと感じる。そして、核技術は現代に至っても結局リチャード・ファインマンが言うように「ドラゴンの尻尾をくすぐるようなもの」なのだと痛感する。人類の叡智で完全にドラゴンを手なずけるか、ドラゴンの炎に焼き焦がされるのを承知で戯れるか、僕たちはまだまだこの選択に苛まれ続けることになるだろう。