穏やかな日差しが差し込む4月末日、友達と一風変わったBBQをした。何と参加者の大半がウズベキスタン人。これほど国際色(あるいはウズベキスタン色)豊かなBBQは生まれて初めて。当然、ウズベキスタン人が多いので、料理もウズベキスタン流。たっぷり時間をかけて作ってもらった、羊肉と馬肉のプロフ(中央アジアのピラフ)は絶品だった。
この日集まったウズベキスタンの方々は日本在住歴が長く、言葉はネイティブレベル。また、女性のほとんどは既婚者で一緒に子供を連れてきていた。まだ2、3歳と思しき混血の子供たち。彼らは当然自然と日本語を覚えるだろうし、親がウズベキスタン人だからウズベク語も学ぶだろう。加えて、ウズベキスタンという土地柄を考えれば、ロシア語だって学ぶかもしれない。
中央アジアで育った子供たちにとって、多言語を操ることはある意味宿命だろう。ようやくよちよち歩きを卒業したくらいの彼らを見て、本当の意味での次世代を理解した。グローバルという概念を生まれた時からまとっている世代。僕がこの世を去る頃には、きっと2つの母国と3つ以上の言語を話す人間がもっと増えて、彼らが新しい価値観を生み出していくに違いない。
潔癖症な日本は移民を依然拒否しているが、もう時代は単一民族という思想を許さないのではないだろうか。そんなことより、独自に発達した日本の文化と思想を、来たる世代にいかに分かりやすく教育するかに注力するべきだと思う。日本語を基調とした文化と思想が維持されるなら、それが何人によって担われようと問題ないはず。ただし、来たる移民時代の前に、日本文化の担い手である僕たちは日本について本格的に学び直さなければならない。当面は日本人以外に日本文化を教える人間がいないのだから。未来のために、ささやかながら、僕はまず日本語の日常会話から学んでいこう。