サラエボ3日目の早朝、最終目的地であるイスタンブールに向けて出発。今回の旅のスケジュールがタイトな理由はイスタンブールにあった。そう、イスタンブールでロンドンのクラスメート2名と合流する予定なのだ。共に学んだトルコ人とブラジル人と日本人がイスタンブールで再会する。こんなにロマンチックなことが他にあるだろか。
意気揚々とサラエボ空港で搭乗手続きをしたものの、飛行機はまさかの3時間遅れ。アタテュルク国際空港に到着した時にはすでに夕刻になっていた。それにしても、空港内の人の多さには驚いた。パスポートコントロールに殺到するあらゆる人種の人々。ここは東欧ではない、改めてそう実感した。
入国手続きを済ませて、ホテルまで電車で移動。チケットの買い方が分からなかったが、近くのおじさんに聞いたら2枚買えばOKと言われた。どうやらイスタンブールは路線ごとにチケットがいるらしい。小一時間電車に揺られて着いたのはスルタンアハメット駅。ホテルの場所が分からず本屋の店員に尋ねたら、ついでに地図を買う羽目になった。トルコ人は商売上手。
イスタンブールの宿は珍しくドミトリー。何故かと言えば、ブラジルの友人と一緒の宿に泊まろうと約束をしたから。部屋に入ると、中にいたのはシンガポールの若者と同世代くらいのイタリア人。二三言葉を交わして、早速スマホでメールをチェックした。するとトルコの友人から「今仕事でイスタンブールに来ているが、お前は今いるのか?」とのメッセージ。急いで電話をしてみたものの、応答なし。メールを返しても返信は返ってこなかった。
待ち合わせ時間になったので、ホテルのロビーへ移動した。しかし、ブラジルの友人は10分経っても来ない。仕方がないので、フロントに彼女がチェックインしているかを尋ねた。答えは「Yes, already」。僕は一縷の望みをかけて30分ほど待った。その結果はソファでスマホをいじる日本人がロビーにただひとり。しかも、トルコの友人からも連絡は来なかった。いくら特殊な状況での待ち合わせとはいえ、大の大人2人が両方来ないことなんてあり得るのだろうか。世界の壁は分厚い。1時間後、僕はドミトリーの前のトルコ料理屋でひとり寂しく食事を取った。そして、部屋に戻ったら、イタリア人が他人事のように慰めてくれた。
友人と会えず、目的を失ったイスタンブールの朝。そして、部屋に知らない男が2人もいるという現実。すっかり気力を削がれた僕は、”Basically”が口癖のイタリア人を軽くあしらって外に出た。ドミトリーの近くにはブルーモスクという著名なイスラム建築がある。その眺めは壮観だったが、やはり気分は乗らなかった。気だるくシャッターを切っていると、濃ゆい顔のトルコ人が声を掛けてきた。なんでも日本人が好きだから、案内させて欲しいと。胡散臭い。そう思いつつも、悪い人ではなさそうだったので、お金は絶対払わないことを条件に一緒に行動することにした。
雑談しながらブルーモスクを拝観した後は、近くにある地下の宮殿を案内してもらった。どうやら東ローマ帝国時代に作られた宮殿らしい。彼は時に熱っぽく、時に淡々と色々説明してくれたが、内容はほとんど耳に残らなかった。一巡して地上に上がり、次はどうするという話になった時、彼は「そう言えば、おれは家族でハンドクラフトの店をやっている。覗いてみないか?」と切り出してきた。単純に興味を持った僕は、行ってみたいと軽く答えた。こんな旅もまた良し、この時はそんな気分だった。
案内されたのは5分ほど歩いた店の2階。何故かそこには絨毯が山積みされていた。そして、気がつけば僕の目の前には70万円のシルクの絨毯が立てかけられていた。「ブラザー、僕は友達だからこそ中途半端なものを売りたくないんだ」と日本語を流暢に話す新たな男。何故、会って10分で兄弟と呼ばれるのか。いくら前向きに考えても行き着く結論はただひとつ。これは詐欺。
コーヒーを啜りながら、拒絶と値下げが絶え間なく繰り返された。絶対負けるまいと心に誓う僕。そして、もう日本に帰りたいと心折れる僕。結局、1時間近い激闘の末、絨毯の値段は10万まで下がり、とうとう向こうが根負けして売るのを諦めた。僕は勝った。これはきっと精神的勝利だ。70万円を失わなかったという事実は、70万円を得たのと変わりはない。
絨毯の件でくたくたになった僕は、近くのレストランでやけ食いをした。それにしてもトルコのご飯はおいしい。食べながらネットを調べてみたら、イスタンブールでは「絨毯詐欺」と「恋愛詐欺」が名物なのだそうだ。ひとり旅の日本人は格好のターゲットなのだろう。何の勧誘もなかった素朴な東欧の日々よ、ありがとう。今回の旅で、僕は欲望渦巻く都市、イスタンブールに最も長く滞在する。何故こうなったのか、何故友人に会えないのか、懐疑と不信が渦巻き、結局大量のご飯は食べ切れなかった。
(続く)