気持ちよく目覚めたサラエボの朝。窓を開けて外を見たら太陽と雲がくっきりと空に貼り付いていた。多分まともな太陽を見たのは1ヶ月ぶり。本当に今回の旅行は日差しに恵まれなかった。きっと今日はサラエボ土着の神様がさすらいの日本人を歓迎してくれているのだろう。僕はお礼にボスニア・ヘルツェゴビナを10回唱えた。心くすぐるこの語感。
ホテルで有料のエスプレッソを誤って勝手に飲むというミラクルを起こした後、僕はカメラを準備して意気揚々と外出した。しかし、時間は既に12時。遅い。ホテルの近くには大きな墓地があって、そこを下ると旧市街に行き着く。ここは東欧の田舎の雰囲気を色濃く残した小粋なマーケット。観光者向けのあつらえ感は拭えないものの、雪景色とあいまって違う世界にやってきたような気分になれた。お土産も魅力的なものが多く、ここでかなりの時間を費やしてしまった。
お昼はCevapiというローカルフード。パン生地にコルクのような牛肉が入っていて、横にたまねぎのみじん切りが添えられている雑な料理。食べ方を聞いたらパンをちぎって肉を巻いて食べるのだそう。いまいち納得のいかない食べ方だが、食べてみるとこれがおいしい。牛肉はケバブのような加工肉。バルカン半島だからトルコの影響が大きいのだろう。
一通り街を歩いて、喫茶店に寄ったらお金がないことに気づいた。が、両替しようと界隈を探すも、ここサラエボでは日本円の取り扱いがないことが判明。銀行に行っても断られてしまった。紙切れになった諭吉先生。脳裏に浮かぶ、物乞いをする自分自身。僕は一か八かでキャッシングに手を出してみることにした。正直、全く期待していなかったが、何とATMは僕のカードに反応してくれた。湧き出る1万円分のボスニア紙幣。僕はサラエボの神様とカード会社に感謝した。
一通り街を歩いたら、靴が雪解け水でびしょびしょになってきたの一度ホテルに戻って休憩。このままゆっくりしようとも思ったが、まだ時間があるのでスナイパー通りに行ってみることにした。この通りは1990年代の内戦時、血で血を洗う銃撃戦があった人間の狂気の跡。だが、今見ると何の変哲もないごくごく普通の大通り。時代は変わる。そして、内戦当時記者が詰め寄ったというホリディイン [Holiday Inn]。現在も普通に営業していた。
スナイパー通りに着いた時には、もう日が暮れかけていた。冬のヨーロッパは4時で暗くなり始めるから本当に時間が足りない。単に早く出かければいい話なのだが、何の制約もないひとり旅だとそれが出来ない。自由とその代償。この言葉を胸に刻んで、きっと明日も昼12時にホテルを出る。