あっという間にハンガリー最終日。友人に頼まれた物があるので、中央市場に行くことにした。この市場は食べ物だけでなくお土産の類も売っているらしい。外は凍てつく寒さで、路上で遭難できるほど。この極寒ではユニクロのペラペラダウンは防寒にならない。日本に帰りたい。寒さに比例する望郷の念。
歩いている途中、酔っ払ったモヒカンパンクスの若者2名に絡まれた。「向こうで女を待たせてるから酒でも買っていってやりたいんだけどお金がない。100円くれないか?」と酒臭い片方。当然酒臭いだけでなく、胡散臭い。が、拒否して揉めごとになるのを恐れた僕は、大人しく100円相当のコインを差し出した。すると、彼らは上機嫌でお礼を言ってあっさり去っていった。このデジャヴ感。そう、これはプラハで1コインをねだられた時と全く同じだった。2度目のカジュアル物乞い。
中央市場到着。1階は文字通り市場になっていて、肉やら野菜やらが山ほど売っていた。特にパプリカが多く、この食べ物が国民食なのだと改めて思い知らされた。
ここで悪夢の災難発生。写真を撮っていたら、突然ファインダーが真っ暗になった。バッテリーを抜いたりカメラを叩いたり、様々な応急処置を試みても一向に映る気配がない。ついにカメラが完全に壊れてしまった。ロンドンで水没したデジタル一眼、ブダペストの中央市場に眠る。写真という旅の目的を失った僕は、暗澹たる気持ちで黒い塊に成り果てたカメラに十字を切った。
カメラの故障で茫然自失の僕は、やけ食いで自我を取り戻そうと2階の食堂フロアへ。ここは露店が軒を連ね、ハンガリー料理を思う存分楽しめる。僕が選んだのはHungarian Specialと銘打たれたピザのような食べ物。言葉が分からず、店員の質問に全部頷いていたら、出てきたのは具材山盛りのパン。値段は衝撃の1,700円。どうしてジャンクフードにこんな金額を払わなければならないのか。望み通りやけ食いは出来たが、残金は痛恨の700円。
一服した後、諦めがつかないのでもう一度カメラを試してみた。電源オン。すると、今回は嘘のようにあっさりついた。何という気まぐれ。愛着のある機械には、持ち主の性格がうつるのかもしれない。何にせよ、カメラがなければ極寒を耐え忍ぶだけの苦行になるところだったので心底救われた。試し撮りをした時の小さな電子音が、僕には命の音色に聞こえた。
友人に頼まれた刺繍を無事に買えた僕は、復活したカメラを片手に意気揚々と外へ。だが、歩いていると間もなく雪が降ってきた。ひらひら舞っては頬に優しく当たる雪。しかし、それは次第に優しさを失い、白い悪魔に変わり果ててしまった。寒さと雪に心を折られて、僕は近くのバーガーキングに緊急避難。もうホテルはチェックアウト済みなので、夜行列車まで時間を潰す術が他にない。こんなことならもう1泊とっておくべきだった。後悔を反芻しながら、残金を何度も確認して買ったコーヒーで静かに手を温めた。
結局、バーガーキングでの滞在は3時間に及んだ。実際、雪はとうに止んでいたのだが、一度暖房の心地よさを知ってしまうと外に出れない。そんな状況で旅立つ決意をしたのは、夜が街を真っ黒に染める少し前だった。目指すはネットで見つけたマクドナルド。当然、目的は休息ではない。ブダペスト西駅にあるマクドナルドは世界一豪華らしい。
30分近く歩いて世界一豪華なマクドナルドに到着。手はかじかみ、頬は温度を失い、体のパーツが自分自身のものではなくなっていた。そんな僕を迎えてくれたのは、高い天井を有した格調高いヨーロッパ建築だった。これが世界一かどうかはともかく、確かにマクドナルドらしからぬ豪華さ。値段も高いのかと思いきや、それは他の店と同じだった。ここで一服しようと思ったが、無線が繋がらないので断念。
世界一を堪能した後は、夜のブダペストを目的なく放浪。夜行列車まではまだまだ時間がある。歩き続けると当然疲労が溜まるが、反面、体は温まるのでこれはこれでいい。第一お金がないので休むことすらできない。残金の500円は、途中で食べたフォーでほとんど消えてしまった。だが、極寒のブダペストの夜は賑やかで、無一文の人間にもどこか優しかった。
ようやく夜行列車の時間になったので、ブダペスト東駅へ。ベオグラード行きの電車は既に到着していたので、駅員に部屋を聞いて中へ入った。駅員の態度が恐ろしくそっけなかったがそこは我慢。車両内部は作りが古く、コンパートメントは鍵を閉めても完全にドアが閉まらないアドベンチャー仕様。おまけに部屋の電気は付かず、設備は最悪。世の中、値段相応に出来ていると妙に納得。更に驚いたのは、4人用のコンパートメントなのに同室者がいなかったこと。
不安を抱えながら、下のベッドに横たわった。そして、目が覚めたらベオグラードにいた。と言いたいところだが、今回はパスポートチェックがあり、夜中1時と2時に叩き起こされる羽目になった。ちなみにハンガリー側(出国側)の担当者は20歳そこそこの丸メガネで童顔の女性警官。が、見た目とは裏腹に態度がやたらと高圧的で、眠気がすっかり飛ばされた。
結局、ろくに眠れず、固いベッドで旅の追憶にふけった。ブダペストはロンドンで何人かの友人から聞いたように、やはり「Amazing」だった。怪しい人にたくさん声をかけられたし、モヒカンの若者に100円をせびられた。地下道はホームレスだらけだったし、酔っ払ってバイオリンを弾いている老人は素人以下だった。温泉の受付のおばさんとのバトルも忘れられない。そして、雄大なドナウ川と東欧の古都を思わせる少しくたびれた街並み。アンダーグラウンドと古き良きヨーロッパの融合、これが僕の感じたブダペストだった。