旧市街とアウシュビッツに行ってしまうともう行くべき観光地がない。しかし、夜行列車まで時間を潰さないといけないので、最終日はユダヤ人居住地区に行ってみることにした。場所は旧市街のさらに奥。ホテルを出たのが既に昼前だったので、僕はまず昼食を取ることにした。食べたのはプラツキーという巨大な揚げポテトと紫色のスープ。この食欲をそそらないスープの色は、ビートという野菜で出しているらしい。味は微妙。
満腹のお腹を抱えて旧市街を抜けると、ユダヤ人居住地区らしき場所についた。一応観光地区扱いになってはいるものの、観光客はまばら。確かに旧市街と比べると華がない。歩いている人々はきっと大半がユダヤ人なのだろうが、僕には全く区別がつかなかった。アジア人が全員中国人に見える欧米人の気持ちがよく分かる。
何を目指すでもなく歩いていると、レンガで囲まれた広い敷地からお墓が見えた。きっとこれはユダヤ人の共同墓地なのだろう。ぐるっと回ってみたら有料で入場できるようになっていたので、100円ほど払ってチケットを購入。墓地は手入れが行き届いている感じではなく、遠い昔に忘れ去られたような寂しさがあたりに漂っていた。苔の生えた古びた墓石と、そこに無造作に乗せられた石ころが物悲しさを誘う。街と隔絶された閑静な墓地を一周して、何人のユダヤ人がここに眠っているのだろうと想像した。
墓地の隣にはユダヤ教の礼拝堂であるシナゴーグもあった。中は学校の教室くらいのこじんまりした大きさで、足音が聞こえるほどの静寂に包まれていた。拝観している人は僕ひとり。豪奢とまではいかないが、キリスト教とはまた違うきらびやかな装飾には心惹かれるものがあった。
ユダヤ人居住地区を一通り歩いたらもう夕暮れ。日没が早すぎる。しかし、電車の時間まではまだ4時間近くあったので、僕はホテルのロビーで時間を潰すことに決めた。これが一番低コスト。受付のお姉さんはチェックアウトした人間を嫌な顔せずに受け入れてくれて助かった。さらに電源まで貸してくれたので、ネットを見ながら快適に過ごすことが出来た。感謝。
9時過ぎになり、荷物と心配を抱えてクラクフ本駅に向かった。初めての夜行列車というのもあるし、何よりヨーロッパの電車と言えば治安の悪さで有名。ネットで調べても友人の話を聞いても、悲惨なエピソードには事欠かない。それでも飛行機よりも安い上に宿代を節約できるので、貧乏人にはこの選択肢しかないのだ。念のため2人1部屋のコンパートメントをとったが、はっきり言ってその相手が泥棒である可能性も否定しきれない。
駅員に場所を聞いて恐る恐るコンパートメントの中に入ると、運命のパートナーが既にいた。名前はBen。オーストラリア出身で3ヶ月ヨーロッパを旅しているらしい。短髪で笑顔がさわやかな好人物で、僕の心配の半分はこの時点で吹き飛んだ。僕が夜行列車の不安を告白すると、彼は「心配しすぎる必要はない」と前置きした上で、半月前のエピソードを披露してくれた。とある夜行列車の出発前、彼はホームにいたイタリア人2人組と立ち話をして仲良くなったらしい。そしてその夜中の車中、何故か激しいノックが聞こえたのでドアを開けるとそこには数名の警察がいた。訳が分からず事情を聞くと、なんと先ほどのイタリア人が泥棒で、彼はその一味だと勘違いされてしまったのだそうだ。
狭い室内でBenとしばらく話をして就寝。上段のベッドは落ちる不安にさいなまれるが、電車の揺れが徐々に僕を夢の世界へ導いてくれた。何度か起きてしまったものの、思った以上に熟睡できた。すっかり目が覚めた時には、カーテン越しにうっすら大陽の光。Benは既に起きていて、僕が起きたのを確認すると何かを手渡してくれた。それは用心にと枕のそばに置いておいた僕の財布だった。どうやら寝ている間に落ちたらしい。完全に裏目に出た盗難対策。ばつの悪い思いを連れて、列車はプラハに到着した。