最終日の前日は、日本人と台湾人のクラスメートと食事。人種差別ではないが、言葉が拙い分、文化の近いアジア系の人との方が一緒にいて落ち着ける。この日行ったのは中華街。食事についても同様で、やはりアジア人には中華料理の味が断然しっくりくる。何より値段が手頃。ロンドンはお金さえ払えば色々な国の料理を楽しむことが出来るが、コストパフォーマンスを考えた時には中華料理がきっと一番だと思う。
食べながら話したのは、専ら日本や台湾や香港の文化の違い。発音も文法も違うのに漢字という共通項があるのは実に面白い。台湾のクラスメートは僕たち日本人の漢字名に興味津々だった。実はこのクラスメートが僕にとって初めて会話をした台湾人で、こういう出会いがあると留学をして本当に良かったと思う。
さて、ロンドンにはあくまで勉強に来たので、勉強事情の報告。最終週は実力が認められたのか、基本クラスを1段階上げてもらえた。ただ、レベルが上がっても体感的な難易度はほとんど変わらず。むしろ容易になったかもしれない。何故かというと、上のクラスになっても、授業で習う内容はある程度英語を学んだ人間なら無理なく理解できてしまう。更に、上のクラスになればよりきれいな英語を話す人が増えるので、ディベートや意見交換が簡単になる。だから、結果として授業の理解度が労せず上がるのだ。
こう書くと大して実のない授業のようだが、この6週間を通して自分の会話力や聴き取り力は随分上がった。実際、最初の2週間は疎外感を感じることが多かった。うまく自分を表現できないし、相手の発言が聴き取れないから必然的に会話が弾まない。ところが、だんだん各国の癖のある発音に慣れてくると挨拶も気軽に出来るし、会話に合わせて軽い冗談のひとつも言えるようになってくる。僕はいままで限られた環境でしか英語を使わなかったので、どうしても日常会話が貧弱だったのだが、それは完全に克服された。要は慣れの問題。
まとめると、日本人にとっての語学留学は、英語力を身に着けるというより実際的な経験値を上げる場と考えた方がいい。だから、ある程度会話が出来ないと単なる金の無駄遣いに終わる可能性が高い。自分がうまいこと成長できたのは、前職で多少なりとも英会話をしたことが大きいと思う。知識の面で得たものは期待ほど多くなかったものの、初めての異文化圏で勉強をしたことは代え難い経験になった。語学の奥深さというか、コミュニケーションの本質を体感できた。
学校の終了はそのまま一緒に学んできた友人との別れを意味する。社会人を対象にしているので、この学校は人の入れ替わりが激しい。僕が6週間共に学ぶことが出来たのはたったの3人だった。流動的な環境だと、こんな短期間に一緒だっただけでも貴重な関係に思えてくるから不思議。
いよいよ学校卒業の日。授業の後は、一番お世話になった先生に挨拶。彼は色々アドバイスをくれ、履歴書には「英語を流暢に話せる」と書いて問題ないと言ってくれた。もちろん自分の実力は自分が一番よくわかっているし、生徒を元気づけるリップサービスということもよくわかっている。ただ、後半に入って大きな手応えを感じた僕は、彼の言葉をすっかり鵜呑みすることにした。
最終日のイベントは、またしても中華街で夕食。面子はこの3人に新しく入学したスペイン人。実際には10人近く誘ったのだが、結局このメンバーしか集まらなかった。ただ、僕にとってはこの3人が来てくれただけで十分満足だった。選んだお店は、大衆食堂のような洒落っ気のない中華レストラン。みんなほとんど中華料理の経験がなかったので、僕は中華はシェアするものだと忠告した。しかし、食事をシェアするという概念がそもそもないのか納得感はゼロ。結局、一人一品を死守しながら和気あいあいと思い出話に花を咲かせた。帰りは、離れ離れになっても連絡を取り合おうと固く誓って、仲間のひとりの口癖である「Exactly」と叫んで解散。ロンドンでの短い学生生活が、これで終わった。
センチメンタルな翌日は、荷物をまとめて出発前にホストファミリーと軽食。いつも通り社会情勢について話をしながら、トーストとビスケットを食べた。やがて出発の時間が迫ってきたので、僕は「Now, It’s time to hit the road!」とロンドンで覚えたフレーズを切り出してボストンバッグを肩にかけた。そして、結婚したら連絡をするようにと笑顔で言ってくれたホストファミリーと抱擁してお別れをした。
ドアを開けると、僕を出迎えてくれたのはやはり煮え切らない曇り空。どんよりした雲を眺めて、僕はこっそり英語で別れを呟いた。そして、次なる旅へと気持ちを切り替えるつもりで、Arnos Grove駅の改札を颯爽とくぐった。それでも1時間近く電車に揺られていると、色々思い出されて、もう少しいたかったという未練がちらほら湧き出る。どうやら僕の心も、ロンドンの空と同様、気まぐれらしい。