日が暮れた頃を見計らって、再度マーケットに繰り出した。今回のカシュガルで最も訪れた場所だけに思い入れは一番強い。本当はマーケットの食べ物を全部食べ尽くしたかったが、当然それは叶わない。先ほどのラーメンが多かったため、食事は魚のフライと謎のパイだけにした。この謎のパイは、何層も重なった生地の中に肉の餡が入っていて、表面に砂糖がまぶしてある不思議な一品。味はまあまあ。
一通りマーケットの写真を撮ってホテルに戻った。振り返ると、カシュガル観光は腹痛との戦いで終わった。それでも僕の心は充実感で満たされていた。ウイグル人の平穏な日常に接して、その日常をカメラに収める。ひとり旅ならこれだけで十分。結局、人間の営みはどこに行っても本質的には同じだし、違いといえばその営みの色彩だけ。どこにでも見られる習俗の色彩の違いを楽しむこと、それが旅の醍醐味。
本当はこれに加えて、その土地の思想に触れられれば一番いいが、これには言語の壁という大きな障壁がある。この旅を通じて、せめて基礎的な中国語くらいは話せるようになりたいと強く思った。やはり僕は中国という国の文化が好きで、中央アジアとしての新たな中国の顔は僕の好奇心を更に刺激することになった。またウイグル人という完全に未知の民族に接することが出来たのはこの上ない経験だった。
人類はまず民族に分かれ、そこに文化や宗教が生まれ、やがて国家というフォーマットに収まっていく。しかし、中には国家を持てずにアイデンティティの危機に瀕している民族が少なからず存在する。果たして現代の家を持たない民族は、国家が基礎単位となる世界でこれからどのように自立的に生きて行くのだろう。物思いに耽りながら、トイレを何度も往復して、シルクロード最後の夜は更けていった。
一応、日本に着くまでが旅なので、帰国までの顛末を簡単に書く。中国の国内線での移動は予想通り混乱を極めた。もう二度とこの国の航空会社は利用したくない。そして、来年も僕は同じ類の愚痴を言っていることだろう。
■帰りのタクシー
中国語と英語で書かれた「カシュガル空港」の紙をタクシーの運転手に見せても全く通じず。2台目も同じ。そして絶望する僕の前に止まったのは非正規のタクシー。助手席に乗って値段を聞いてみたら驚異の100元(相場の5倍)。すぐに降りようとすると、冗談だと言わんばかりに50元を提示してきた。それでも首を振って値下げを求めると、最後には40元になった。それでも相場の倍。不愉快。
■カシュガル空港
まずはウルムチ行きのチケットなのだが、何かのトラブルで発券してくれない。カウンターの女性は奥に消え、チケットを持って戻ってきたのは30分後。その後、荷物検査前にチケットを見せたら、チケットにパスポート番号が記載されていないと足止めを食らった。結局、カウンターの女性をわざわざ連れに戻って、2人で話してもらって一件落着。最悪。
■ウルムチ空港
ウルムチから広州の便への乗り継ぎはわずか1時間。すぐに係員に問い合わせて乗り換えカウンターに並んだら、これは国際線の扱いになるから2階に行けとの指示。急いで2階に行き発券を依頼したら、また別の場所を案内され、チケットを受け取ったのは30分前ぎりぎり。係員に話をして優先的にチェックインをさせてもらうも、時間切れでアウト。結局チケット変更を余儀無くされた。
ウルムチ空港では更なる奈落が待っていた。チケット変更の手続きをまともにできる人がおらず、何度も2つのカウンターを往復させられた。しかも、変更料として300元を請求され、現金がないからカード払いをお願いするとまたもやたらい回しの始まり。最後に仕事を押し付けられた女性は、僕に対してあからさまに不快な態度を示していた。国際便のカウンターで英語が通じないのはあり得ないし、客に対するあの態度は信じられない。
■広州空港
広州空港には夜中に着き、朝まで雑魚寝。が、ほとんど眠れずに朝を迎えた。時間が有り余っていたので少し早めにチェックインをすると、またもや発券できないトラブルが発生。呪われし帰国。しかし、広州空港は大きな空港だけあって、係員の対応は迅速かつ的確だった。しかも日本語対応。災難続きの帰国にあって、唯一嬉しかった出来事。しかし、これで帳消しにはならない。
■日本
日本に着いて驚いたのは、その空気のきれいさ。電車の窓越しから見える透き通った空に、しばし我を忘れてしまった。この透明度は砂煙舞う砂漠の都市では絶対体験できない。美しい国、日本。少なくとも空気に関しては。