遂に2週間のシルクロード旅行の終わりの日が訪れた。最後に腹痛に襲われたのは残念極まりないが、ある意味アジア旅行には付き物なので、これはこれで諦めがつく。この日は朝早くに起きてしまったので、とりあえず午前中の街を歩いてみることにした。とはいえ、近場は歩き尽くしたので、結局行くのはいつものマーケット。朝のマーケットは夜とはまた違う活気に包まれていて、一日をはじめようとする人々の熱気に溢れていた。お腹が減った僕は、ここでピザ生地のようなナンと揚げパンを買って食べた。味は推して知るべし。
最終日でありながら観光の目的がないので、隣の広場のモスクに行って見ることにした。こっそり入り口に少し足を踏み入れてみると、右手に見えたのはチケットカウンター。何とこのモスクは有料で一般公開されていたのだ。イスラム文化の真髄に触れられると思った僕は早速チケットを買って中へ。しかし、中は単なる公園のような作りで、少しも宗教感がなかった。歩いているのも観光客ばかり。ただ、奥には緑を基調とした礼拝堂のような建物が建っていた。他の観光客もいたので遠慮なく入ってみると、そこで何故かイスラム系のおじいさんに怒鳴られた。どうやらこの礼拝堂は土足厳禁らしい。ちなみに、礼拝堂の中にあるのは祭壇だけだった。
一旦ホテルに戻り、何か手頃な観光地はないかチェック。そして、どこかの旅ブログに有名な人のお墓があると書いてあるのを見つけた。地図で確認すると徒歩で行けなくもない。僕は大した期待を抱かずに、そのお墓に行って見ることにした。
乾燥し切ってるカシュガルだが、日差しは強いので長く歩くと汗だくになる。僕は途中で見つけたマーケットで飲み物を買って、焼き鳥の串を2本ほどつまんだ。その後、歩き続けること30分、地図が全くもっていい加減であることを理解した。そして、それは土と同化しているような古ぼけた住宅地に迷い込んだ後のことだった。
瓦礫を踏みながら辺りをさまよっていると、やがて整然と家が立ち並ぶ閑静な住宅街に行き着いた。色と形に統一感があって無駄のない住宅街。それは自然と一体化したミニマルな世界を体現していた。分別のない東京の街並みを思うと素直に羨ましい。が、住宅街に感動してもお墓にたどり着けるわけではなく、僕はここで探索を諦めた。ある意味カシュガル全体が観光地なので、特定の観光地が見つからなくても全く問題ない。
流石に歩くのは無理なので、帰りは近くのバスに乗り込んだ。バスに揺られること約10分、ホテルにほど近いところで降車。そして空腹に耐えられなくなり、たまたま見つけた中国系のレストランに入った。頼んだのは野菜と卵が入った麺料理。スープは極上の薄味で、テーブルにあった黒酢のようなものを投入しないと食べれないほど。久しぶりの滋味溢れる中華料理が嬉しく、2玉は余裕である量の麺をスープを含めて完食。これならたくさん食べても胃腸に優しいはず。
ホテルに戻ったらまずシャワー。とにかく乾燥しているので、数時間外を歩いていると全身が砂っぽくなる。ちなみにシャワーはペットボトルを頭からかけているくらいの弱い水圧で、なおかつ水捌けが非常に悪い。下手に長く浴びていたら床下浸水必至。
(続く)