ホテルで腹痛と戦いつつ、再びカシュガル探索を開始。ゆっくりテレビでも見て休めばいいものを、旅行中はどうしてもそれが出来ない。貴重な機会を無駄には出来ないという強迫観念。こういう時、自分は案外人生に貪欲なのだと感じる。さて、今回行くことにしたのは先ほどとは反対の方面。こちら側にはバイクで埋め尽くされている大きな道路があった。これだけのバイクが密集しているのに事故が起きない不思議。無節操なようで不思議と秩序立っているこの混沌とした光景に、僕はアジアの本質を見る時がある。
道路を渡って進むと、やがて川にぶつかる。カメラ越しにその川の向こうを覗くと、少し遠くに滅亡した古代都市の遺跡のような街並みが見えた。単なるスラム街のような気がしなくもない。僕は垂涎ものの光景に飛びつきたい気分だったが、お腹の具合を考えると断念せざるを得ない。もし僕のお腹が正常だったら、きっとあの場所がカシュガルのハイライトになっていただろう。
しばらくするとお腹が悲鳴を上げ始めたので、僕は一旦タクシーでホテルへ。初乗りが5元程度なので、公衆トイレを使うより遥かにましなのだ。ホテルで用を済ませて落ち着いた後は、先ほどのモスクの奥に行ってみることにした。この辺りは大きなマーケットになっていて、食べ物から日用品まで様々なものが売られている。ロバに引かせて野菜を売っていた屋台が印象的。柔順そうなロバはじっと動かず、頭を撫でてあげても終始寂しそうな目をしていた。まるで一生車を引く人生に諦めを感じているようだった。
歩きつかれたので再びホテルへ。お腹の具合がよくないと、本当に近場の散策しか出来ない。ただ、身近な場所を何度も訪れるのも楽しいもので、人々の文化や生活を知るという観点からするとむしろこれが正しいアプローチのような気がする。ちなみに至るところが工事中の街の中にも、写真のような落ち着きのある建物がたくさんあった。これがイスラム建築なのかは知らないが、土に近いこの色合いは見ていて心が落ち着く。
まだ日は暮れないが、夕飯の時間がやってきた。とりあえず羊は食べたくないので、僕は試しに魚のフライを食べてみた。アジアの魚は淡水魚が多く、日本人の口に合わないものが多い。しかし、この魚はカレーに近いスパイスと揚げ具合がちょうどよく、臭みを全く気にせず食べることが出来た。唯一不快だったのは、死んだ魚の真横で食べなければならない点。もう少し置き場に工夫はできないものだろうか。
もう一品食べたのは、謎の煮物。ソーセージを積み上げた大鍋が異様で、ずっと気になっていた。勇気を出して注文してみると、出てきたのはごった煮のような食べ物だった。中に入っているのは、芋のようなものとご飯を詰めたソーセージと羊の肉や内臓。スープは薄味で辛さはマイルド。飲むと羊の味が口の中に広がった。決してまずくはないのだが、進んで食べたくもない微妙な料理。芋らしきものがお腹にたまるので、全部食べきるのが大変だった。
夕飯を食べた後は、おとなしくホテルに戻って静養。今回も最後は散策中に僕を構ってくれた天使の子供たち。
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