天池に行きそびれた3日目は、ウイグル人をよりよく知るという大義名分を掲げて、ウイグル人居住地区に行くことに決めた。迫害を受けている少数民族の拠点に行くことに躊躇がないわけではないが、そもそも天池を逃すとそれ以外にすることがない。ネットで調べた情報によると、市内の南の方にウイグル人のコミュニティがあるらしい。僕は早速シャワーを浴びて出かけようと、裸になって勢いよく蛇口を捻った。水は出なかった。
勘を頼りに降りたバス停は新華南路に近いところ。実際に通りを歩いてみると、たまに見かける人は無帽だし、周りにこれといった建物もない。これは徒労に終わるかと思いつつ、Uの字になっている新華南路の終わりを曲がってみた。すると思い描いていた光景が広がった。この通りにはベールを被った女性がたくさんいて、軒を連ねるレストランはウイグル人のものばかり。ウイグル語のみの表記の看板もちらほらあった。僕は突如包まれた異文化の空気に少し戸惑いながら、スキップしたい気持ちを抑えて歩を進めた。
この日は起床が遅く、何も食べずにホテルを出てきてしまった。随分歩いたし、何か食べようと思って近くのレストランへ。中に入ると店員の女性は全員ベールを被っていて、壁に掛かっていたテレビにはウイグル語の映画が映っていた。店の雰囲気に気後れしながら、僕は無愛想な男性店員に家常拌麺というラグマンを注文。少し辛かったものの、無難で優しい味だった。喉が渇いていたので、出されたやかんのジャスミン茶をがぶ飲みしてしまった。
店を出て少し歩いたところで、レンズを換えるために腰を下ろした。横では子供たちが遊んでいたので、試しにこっそり撮影。すると、それに気付いた子供たちが照れくさそうに僕に近づいてきた。撮った写真を見せてあげたら彼らは大はしゃぎ。そして、もう一枚撮ってくれとせがまれ、何故かここで子供相手のプチ撮影会を開催。初めて出会った3人組の子供たちは、人懐っこくて恥じらいがあって、濁りきっている僕の心が洗われるようだった。
子供たちと別れて歩いていると、ひとりの男の子(女の子?)が僕についてきた。話していることが分からないので、色々ジェスチャーでコミュニケーション。青い学校の制服を着ていたので、近くにいる同じ服の子供たちを指差して「向こうに行けば」と合図をするも通じない。歩いているうちに、彼の目線がカメラに向いていることが分かった。僕がカメラを指差すと、彼は満面の笑み。その場で記念撮影をして写真を見せてあげたら、ばつの悪そうな照れ笑いを浮かべて駆け足で去っていった。近くに現像サービスがないのが悔やまれる。
引き続き通りを歩いていると左手が下り坂になっていた。遠くを見ると、人通りは少ないものの、いくつか露店が出ていてマンションが何棟も見えた。僕はここがウイグル人の居住区域と断定し、カメラの他に不安と興奮をぶら下げてゆっくりと坂を下りていった。
物静かな通りには羊を乗せた車がたくさん停まっていて、羊の臭いが辺り一帯に立ち込めていた。僕はカメラを構えて檻の中の羊たちを撮影。すると、向かいから大きな怒鳴り声が響いた。静寂を打ち破る声の大きさに、僕の脳裏に悪い予感が駆け巡った。声の方を恐る恐る見てみると、そこには僕を見ながらにやりと笑う髭を生やした男性。彼は自分たちのコミュニティに入ってきた外国人を茶化しただけだった。
先ほどの出来事に驚いた僕は、通りの外れで小休憩と称してひとり作戦タイム。カメラのレンズの汚れをチェックしていたら、2人の子供が僕の方に寄ってきた。僕がカメラを向けると、目と目を合わせてふざけだす子供たち。カメラをダシにこの子たちと戯れる癒しの時間がやってきた。言葉が通じなくてもコミュニケーションが取れる子供の存在は、孤独な旅人にはまさに天使。
子供たちがカメラに飽き始めた頃、後ろの建物から坊主で長身の男性が現れた。子供たちがその人の方に駆け寄っていったから、きっと父親なのだろう。その父親らしき人物は、僕を見るなり好奇の目で話しかけてきた。当然、言葉が分からないので僕は「ジャパン、ジャパニーズ」とだけ発言。それを聞くと、彼はひどく感心したように仰々しく頷いて、何故か持っているタバコを勧めてくれた。
再三にわたるタバコの勧めを断って、男性と子供たちに別れを告げた。思った以上にウイグルの人々は、外国人である僕にフレンドリーだった。もしくは単に物珍しいのだろう。この界隈を歩いていた時、僕は周りから常に奇異の視線を浴びせられていた。だから、自分が敵ではないと示す必要性から、露店で食べたくもないスイカや羊のミートパイを何度も買って食べた。
ここで最も衝撃的だったのは、囚われの身になっている羊が道端で屠られていた光景。羊が血を流して殺される現場に驚いたし、羊の解体に子供が参加していることに驚愕した。しかし、生きるとは殺すことであり、これを小さな頃から身をもって体感することは少しも悪くない。生命を奪って生きているという現実から遠のいている僕には少し複雑な気持ちが残ったが、それと同時に生きることの厳粛さは残酷さの中に存在するということを実感として学んだ。これから殺されてゆく羊たちの、達観したような目が忘れられない。
ウイグル人居住地区を後にし、再び通り沿いを進んだ。途中にモスクがあり、いよいよここが中国というよりイスラム文化圏なのだという思いが強まった。モスクはさすがに入るのが後ろめたく、入り口付近での撮影に留めた。
通りが突き当たりになったので、地下道を通って向かいの通りへ。すると、椅子や机が並べられた広い敷地が眼前に広がった。夜はきっとここでマーケットが行われるのだろう。既に露店が多く出ていたので、僕は露店とそこの人々を撮影。しばらくカメラを構えてうろうろしていたら、ここでも20代の若者に大声で茶化された(一番下の写真の両手を上げている男性)。僕は彼のところに行って、彼が売っている羊のミートパイを購入。英語をほんの少し知っていたので話してみたが、意思疎通は図れなかった。あとで僕がそばの露店でお釣りを取り忘れたら、彼がまたもや大声で僕を呼び止めて笑っていた。ウイグル人が親切どうかはともかく、少なくとも彼らはお金にたいして貪欲ではない。
更に歩いて行くと、壮大なイスラム建築の建物が見えた。観光バスが至るところに停まっていて、辺りには一眼レフを抱えた中国人が至るところにいた。あとで調べたら、ここは国際大バザールというウルムチ最大規模のマーケット。建物の内部はほとんどがお土産屋で、歩いていると店員がひっきりなしにしつこく話しかけてくる。ウルムチの俗っぽい一面に少しがっかりしたが、そもそもウイグル人を変に美化しようとした自分が悪い。
(続く)