敦煌3日目の朝は10時に起床。この日の朝は、良いことと悪いことがひとつずつ。良いことは前日手洗いした洗濯物がすっかり乾いていたことで、悪いことは断水でシャワーが出なかったこと。クレームを言う手段すらない僕は、さっぱりしない体で中国銀行に向かうことにした。
最寄の中国銀行は徒歩10分。銀行に着くとまずは営業していたので一安心。が、まだ楽観は出来ない。僕は泥棒のように恐る恐る中に入って両替カウンタを確認。そこには女性が座っていて、「服務停止」の表示もなかった。つまり、完全勝利。心の中で始まる鼓笛隊のパレード。僕は誰とも分かち合えない喜びを2万円に託して、たんまり中国元を頂いた。
お金が手に入れば、自然と足取りは軽くなる。僕は敦煌でおそらく一番有名であろう莫高窟に行くことにした。ネットで調べると、どうやら直行のバスが出ているらしい。早速バス停と思われる場所に行くと、通りの向かいにバスが止まっていた。車内に入ると、満員のため座れたのは助手席。両腕が隣の人に当たる窮屈さ。思えば助手席に座るのは中学生以来の経験。料金は10元で、同乗していた甲高い声のおばさんが集金していた。
莫高窟へは30分ほどで到着。バスを降りると、敷地が広すぎて入り口が見当たらない。とりあえず人の流れについていったら、右手に食堂を見つけた。少ししか食事をしていなかったので、ここで昼食を取ることに。注文したのは駱肉黄麺という名物料理。60元(≒900円)近い値段に衝撃を受けたが、観光地なので仕方ない。しばらく待っていると、肉の皿とパスタの皿が出てきた。肉は文字を見る限りラクダなのだろう。ラクダの肉は淡白な癖のない味で、辛さ以外に特筆する点はなかった。
店の中央では、中国人団体が昼間から盛大に酒盛りをしていた。観察していると、彼らはことあるごとに一対一で蒸留酒を一気飲み。日本人独特の風習であると思っていた一気飲みが、中国にも存在していることに驚いた。
入場チケットを買うと、受付に国籍を聞かれ「2 o’clock at the entrance gate」と無愛想に言われた。意味が分からず入り口らしきところへ向かうと、スーツ姿の係員を発見。彼に入場してもいいかと聞くと、日本語ガイドが来るからあと20分待つように言われた。どうやらここも強制ガイド制らしい。仕方がないので、僕はぼうっとベンチに座って暇を満喫。すると、中国人の若者グループに写真を撮ってくれと頼まれた。暇人に断る理由はない。快く撮ってあげたら、去り際にその中の女の子が「さよなら」ときれいな発音で言ってくれた。
2時になると、「ミナサンアツマッテクダサイ」という片言の日本語が聞こえた。向かってみると、そこには中年女性ガイドと年配の日本人が10名ほど。予想通り、ここはツアー形式でないと観光できないのだ。若干テンションが下がったが、中国のはずれで日本語を聞くのは新鮮でもあった。一応簡単な挨拶をして、僕たちは莫高窟の中へ。年配の方々のほとんどは、奈良から来たツアー客だった。
莫高窟では前日に行った楡林窟と同様、様々な仏教絵画が拝める。しかし、当然ここも撮影禁止。観光客は外側からの写真だけで満足しなければならない。それより残念なのは、敦煌の観光写真で最もよく見る、巨大な大仏を安置している建物が修繕工事中だったこと。これは是非とも写真に収めたかった。ただ、その建物の内部にある巨大な大仏はしっかり拝観できた。巨大な仏像を見上げると、自分が釈迦の手のひらで飛び回る孫悟空になったような気分になれる。
1時間以上かかった石窟観光はようやく終了。日本人の方々にひとり旅を励まされる中、僕はお別れを切り出した。この後は別の観光スポットに行こうと思っていたのだが、ガイドさんにアドバイスを求めたら、「ソレハサイキンデキタノデ、イクイミナイデス」とあっさり却下されてしまった。仕方がないので、強風吹きすさぶ中、近くにある砂漠を歩いてみることにした。
荒涼とした大地は、観光地に隣接しているにも関わらず人がほとんどいなかった。もしかすると強風のせいかも知れない。僕は曹さんにもらったマスクがあることを思い出して、マスクを着けて無人の砂漠を進んだ。やがて莫高窟は見えなくなり、世界は砂と岩と空と風だけになった。僕は砂の上に座り込んで、風に吹かれながら眼前のミニマルな世界を味わった。発展の対極にある砂漠は、死に物狂いで変化を求める僕たちの努力の無意味さを、何百年も前から知り抜いているようだった。
帰りは同じバスで市内に戻った。全員座れた行きと違って、帰りは助手席さえ使えないほどの混雑。幸い席に座れたので良かったが、乗車率は200%を超えていたと思う。僕はいつの間にか寝入ってしまったらしく、目が覚めたらバスは市内に到着していた。砂漠を歩き過ぎたので、寄り道せずホテルに帰って休むことにした。部屋に入って最初にしたのは、断水シャワーの確認。蛇口を捻ると無事に出た。そのまま服を抜いて裸になると、左足の小指は内出血で紫色になっていた。
夕飯は昨日と同じ夜市。敦煌は、それがイスラム文化の影響なのか、羊料理が多い。この日は羊肉粉湯という料理を食べてみた。なみなみ注がれたスープの中には羊肉と米麺が入っている。見たところスープはあっさりしていそうだが、胡椒系のスパイスが大量に入っていて非常に辛い。一緒に出てきたパンはおそらく付け合せ。ただ、この麺とパンの組み合わせは全く合わない。
食べ切れなかったパンを片手に、次は羊料理の店へ。実は羊の串が手軽でおいしいので、毎日同じ店で食べていた。この店は、串1本でも店内で食べさせてくれるホスピタリティの高い店。更に食べ終わる頃にはティッシュをくれる親切さ。串を焼きながら、店員にこまめに指示を出して店を回していた店主の手腕に乾杯。
敦煌の最後の夜は、写真を撮らずに羊を食べて終えることにした。精神的、肉体的疲労が連日続いた僕に必要なのは、夜景ではなく休息。明日はウルムチ行きで、無謀なひとり旅はいよいよ未知の文化圏に突入する。僕はウルムチへの期待と不安を抱き枕にしながら、ラクダに乗れなかった小さな後悔を追い払うように眠りについた。