目が覚めると、僕は西安にいた。このまま寝続けてもよかったし、外で知らない言葉の響きと戯れてもよかった。気だるい自由に満ち溢れた、狭い3階の部屋。孤独な旅人はペットボトルの水を飲んで、もう一度布団に潜りこんだ。
布団の中から時計を見ると午前10時。ホテルの外からけたたましいサイレンが響いたのはその時だった。どこから鳴っているのか分からない、神経を逆なでする扇動的な音。それはいつまで経っても鳴り止む気配がなかった。カーテンを開けると、騒音など聞こえないかのように平然と歩く人々。これが西安の日常なのだろうか。すっかり目が覚めてしまった僕は、しぶしぶシャワーを浴びて、鳴り止まないサイレンを背にホテルの階段を下りた。
外に出ると、目の前にクレープのようなものを焼いている屋台を見つけた。ちょうどお腹も減ってきたので、人混みを掻き分けて人差し指でひとつ注文。勘で5元札を出したら、5角(=0.5元)が返ってきた。お惣菜クレープとでも言うべきこの食べ物は、生地の中にソーセージとスナック菓子のような揚げ物が入っていた。ピリ辛で、柔らかな生地と揚げ物のサクサク感が絶妙。日本にはない、なんとも癖になる味だった。明日も食べよう。
お腹が膨れたら、次の目的地である敦煌を思い出した。そこへは鉄道で行く予定だった。つまり、チケットをこの日中に手配しなければならない。僕は早速近くのホテルに入ってチケット売り場を聞いた。そして、その場所に行ってみると、そこには中が全く見えない教会の懺悔室のような小さな建物があった。小窓のカウンターからは相手の顔は見えない。何より言葉が通じない。僕はここで買うのを諦めた。
次に目指したのは西安駅。鉄道の駅に行けば、寝台列車のチケットくらい売っているだろう。西安駅は若干離れたところにあるので、最寄り駅まで地下鉄で移動した。駅を出ると、そこには大きな歩道橋と東西南北に伸びる道。昨日買った地図を慎重に見て、僕は西安駅の方向へ向かった。
西安駅に着いた。そこにはものすごい数の中国人がめいめい好き勝手に右往左往していた。実は、この日は中秋節と呼ばれる中国の連休の直前で、西安駅は民族大移動の真っ最中だった。僕の誤算は、西安にまでこれほどの混雑が及ぶと考えていなかった点。既に絶望の色濃い僕の目には、チケットカウンターの行列が地獄の餓鬼道に見えた。
空いているカウンターがないかとうろうろしていると、チケット情報をリアルタイムで反映している電光掲示板を見つけた。20秒ほどで画面が切り替わる掲示板に時々映る「敦煌」の文字。その右に続く残数欄にはことごとく「0」が表示されていた。やはり鉄道のチケットは全て売り切れ。ただ、これだけで諦めるのは癪なので、人の少ないチケットカウンターで聞いてみた。英語はやはり通じない。敦煌の文字と列車名を書いて見せたら、係員は他の人にも確認を取った上で、首を横に振った。
どうやら今回の旅行は、毎日途方に暮れるようになっているらしい。僕は西安駅前のだだっ広い広場で、呆然と立ち尽くして抜け殻のようになった。実際、少しも中国語を聞けないし話せないので、ここでは抜け殻も同然だった。しかし、ここで立ち止まっている訳には行かない。VISA無しの滞在期間は最大15日。一日たりとも無駄には出来ない。僕は気持ちを切り替えて、今日の西安を目一杯楽しむことに決めた。
今回西安をスタート地点に選んだ理由。それは秦の始皇帝の兵馬俑を見るためだった。中国史好きにとって、兵馬俑は死ぬまでに行かなければならない場所のひとつ。僕はバスだらけのこの界隈で、兵馬俑行きのバスを探すことにした。が、こんな簡単なことがここでは最も難しいことになる。いくら人に聞けども、誰も正しい場所を教えてくれない。中国に古来より伝わる伝統の秘術、たらい回し。チケットも買えずバスにも乗れない僕は、いよいよ外国人としての孤独を感じ、この旅が無謀極まりないことを理解し始めていた。
僕は低予算で移動する方針を変え、タクシーを捜すことにした。要は金さえ払えば、兵馬俑くらい行けるのだ。早速、向かってくるタクシーを停めて、50元札と地図を見せた。すると、運転手が財布から出したのは100元札(≒1,500円)。バスの10倍程度の値段だが、市内から離れている場所なので仕方がない。100元で了承した僕は、お世辞にもきれいとは言えない助手席に腰を下ろした。
時間は既に午後2時過ぎ。移動には小一時間かかるから、あまり余裕はない。外から吹き込む風を浴びながら、流れて消える道路標識を欠かさず確認した。タクシーに乗ってから20分ほど経った時だろうか、運転手が高速道路にも関わらず急に車を停めた。何かと思って運転手を注視していると、彼は工具を取り出して車のメンテナンスを始めた。走行中、確かに下のほうから何か異音が聞こえていた。嫌な予感が頭をかすめる。ここに来てまさかの故障。一体、西安は僕にどれだけ不運を課すのか。運転手は僕に少し待ってくれと合図をした。もう半分開き直った僕は、動かない車の中で、サイドミラーを使って暇つぶしにセルフポートレートを撮り始めていた。自分の顔を写真で見たら、一連の苦労が如実に顔に出ていた。
(続く)