先週末は京都滞在。殺風景な部屋にいると気が滅入るので、近くの金閣寺に行ってみることに。土曜日の金閣寺は外国人と学生で溢れかえっていた。誰も彼もが芸能記者のように金閣寺の写真を撮る光景は極めて俗っぽい。一方、撮られる側の金閣寺も、作り手が被写体としての寺を意識しすぎているようでやはり俗っぽい。これは僕自身の俗っぽさが引き起こしている一方的な偏見だろうか。俗人は簡単に俗物メガネを外せないから判断が難しい。
神社仏閣巡りが好きだと自認している僕は、京都に転勤したら色々と観光をするだろうと思っていた。ところが、4月以降重い腰はなかなか上がらず、この金閣寺が実質的に最初の観光になった。要するに京都とは、身近にないから憧れる一種の理想郷なのだろう。実際に生活を始めると、京都は京都という名のただの生活空間に突然変異してしまう。憧れの本質は、自分とかけ離れて存在しているという点にある。だから、憧れを維持したいのなら、節度と敬意をもってその対象と距離を置くべし。