アントニオ・ロペス展 / Antonio Lopez

灯り [by iPhone4]

GWの最終日は、電車の中吊りの絵が気になっていたアントニオ・ロペス展へ行ってみた。現代スペイン・リアリズムの巨匠らしい。もちろん僕は彼を知らないし、そもそも絵画に関して全く造詣がない。

アントニオ・ロペス展
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/13_lopez.html

地下のミュージアムで1,400円を払って中へ入った。最初は油絵の人物画。リアルというよりシュールな作品が多く、いまいちピンと来ない。しかし、色の濃淡で対象を立体的に表現する手法(特段珍しい手法ではないと思うが)には目を見張るものがあった。僕だったら他の対象と区別させるためにはっきりした線を引こうとしてしまうだろう。陰影の付け方に感心して、じっくり筆の軌跡を眺めてしまった。

僕の興味を最も引いたのは、風景画と静物画。特にスペインの街を描いた風景画に関しては、遠目で見ると写真と見紛うほど緻密で圧倒された。だが、近くで見るとそれは先ほど見た人物画と同じ油絵なのだ。ここでひとつの疑問が生まれる。緻密さを追求するなら、別に写真でも構わないのではないか。だが、ロペスの絵画を見ると写真では味わえない驚きと迫力があった。それは丹念な筆の一筆一筆の積み重ねであるように思えた。問題は再現性の優劣ではなく、どう表現するかなのかもしれない。

芸術とは世界を独特の手法で切り取り、再構築するものだと思っている。一見写真と変わらない精緻を極めるロペスの絵画には、ロペスの世界観が情熱を孕んだ筆によって表現されていた。どこまで緻密かという点は、表現の優劣に関わりがない。いくら正確に世界を表現できても写真が芸術たり得ないのは、表現手法を写真機に頼っているからだと思う。写真機を介して撮られた世界は、再構築と呼ぶにはやや弱い。

全ての展示を見終えた後、僕は物販フロアで彼の作品集を買おうか悩んだ。だが、立ち読みをしてみたら、まるで蝉の抜け殻のように生気がないので買う気が失せてしまった。生の絵画と印刷紙では雲泥の差があると痛感。代わりに哲学的美術評論の「見るということ」を買って美術展を後にした。帰り道、見慣れた渋谷の街が少しだけ違う表情をしているように見えたのはロペスの影響かもしれない。再構築される僕の世界。

気紛れで行ったアントニオ・ロペス展は思わぬ収穫だった。この短い滞在で感性の輪がずっと外に広がったような気がする。また見に行きたい。人生初の美術展再訪が、あり得る。

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