GW2日目は、折りたたみ自転車で天満(大阪市)から西院(京都市)まで大移動した。距離にして50km。これを決断したのは、単に大阪にある会社の自転車を京都で有効利用したいという極めて実務的な理由。数ヶ月放置していた当の自転車は、錆ついている上、空気が抜けていた。近くの自転車屋で空気を入れたものの、ブレーキの効きが悪く、重いペダルを回す度に歯ぎしりのような音がした。
天神橋筋商店街を黙々と北上し、淀川にぶつかった所がスタート地点。淀川沿いにはサイクリングコースがあるので、このコースをすいすい漕いでいけば、鼻歌が終わる頃に京都に着くだろうと考えていた。時間は午後1時半。柔らかな日差しと包み込むようなそよ風に歓迎されて、僕はペダルに足をかけた。
ランニングする野球部の高校生をゆっくり追い越しながら、快適な自転車の旅は始まった。単調な川と緑と空を眺めながら進むのは気分がいい。周りでサイクリングを楽しんでいる人々を見て、サイクリングが趣味というのも悪くないと思った。
変わり映えしない景色が続く中、足は徐々に疲労で重くなり、シャツは所々汗で色が変わり始めていた。2時間近く走った頃だろうか、水分補給の必要を感じた僕は、ペットボトルのお茶を2本買って芝生に腰を下ろした。汗で湿った体を芝生に預けて空を眺めると、疲れて自暴自棄になったメロスの気分。ペットボトルのお茶は、口の中の不快な唾液の濃度を中和してあっという間に僕の体に吸収されていった。
一服後、携帯の地図を見るとここは枚方市。遠目に見える、缶ジュースの底くらいの観覧車はきっとひらかたパークに違いない。完全に遠回りになるが、肉体的疲労で気分が高揚していた僕は、観覧車を撮るためにひらかたパークへハンドルを向けた。途中、丸亀製麺でうどんをすするというアクシデントに見舞われたものの、遊園地には無事到着。しかし、一周しても観覧車をうまく写せるポイントが全くなく、この訪問は完全に徒労に終わった。
ひらかたパークのくやしさを振り払うように僕は北へ飛ばした。しかし、いつになっても枚方市が終わらない。これは枚方市が異様に縦に長いか、疲労で時間の感覚がおかしくなったかのどちらかだろう。あまりに枚方市を抜けられないので、僕は気分転換を兼ねて東へ進むことに決めた。地図を見ると、東進して京阪国道にぶつかれば後は京都まで一直線になっている。
東の道は退屈な住宅街が延々と続いた。そして、その単調さが蓄積した疲労を呼び起こし、僕の体の柔軟性を奪っていった。何より困ったのは、ハンドルを握る手と固いサドルに圧迫されたお尻が痛み始めたこと。加えて膝も痛みだし、ちょっとの坂道でも降りて歩くようになってしまった。安自転車の宿命ここにあり。
やっと京阪国道北上ルートに突入して、枚方市を抜けた。しかし、抜けたところで今度は別な市になるだけなので本質的には何も変わらない。終わらない道を眺めると無味乾燥な道路が絶望に見える。段々と僕は思考能力を失い始め、自分が何故こんなことをしているのか分からなくなってきた。肉体疲労を伴う長い反復動作によって、人間の理性的な思考は重力を失い、空中分解する。
国道の殺風景さは精神的に滅入る。しかも、所々で廃墟となった建物を見かけるからやりきれない。こういう状況になると、人間は不思議なことに何か目標を立てようという気持ちになる。僕は消え去る準備を始めた太陽を目標に定めた。日が沈むまでに到着しよう。時間は5時過ぎ。もう京都府に入ったので、きっと不可能ではない。
心頭滅却して走り続けること1時間以上、ようやく京都に到着した。既に水分を出し尽くしてしまった体からは汗がさほど出ず、僕を構成する要素の全ては膝と手のひらとお尻の痛みだけだった。自分の体が自転車と接着されたような気さえしてくる。
東寺の近くでまだ赤く染まっている空を見て、僕は間に合ったことに安堵した。部屋に着いたのは午後7時50分。休憩や写真撮影での中断を考えると、実質自転車を漕いでいたのは5時間弱だろう。平均するとたったの時速10km。車の足元にも及ばない。棒になった足を湯船でほぐしながら、僕は文明の偉大さに驚嘆し、また人間の体の持久力に畏敬の念を覚えた。