翌日は犬のいない侘しい朝食を食べて、すぐさま旅行代理店へ。この辺りは至る所に旅行代理店があり、むしろ選ぶのが煩わしいほど。とりあえず、僕は雑貨店を兼ねている旅行代理店のドアを叩いた。そこでは手に障害を持った男性が丁寧に対応してくれて、あっさりチケットを入手できた。手数料を合わせて90USドル。
チケットを手に入れて一安心した僕は、急いで待機中のトゥクトゥクの運転手に声をかけた。偶然友人からラオスに北朝鮮国営のレストランがあるという極秘情報を教えてもらったのだ。昼間の開店時間が10:30~14:00と若干シビアなため急がねばならない。
10分ほどで目的のレストランを発見。どうやらハングルで平壌食堂と書いてあるらしい。ところがお店はカーテンがきっちり閉まり、看板も出ていなかった。これは潰れているなと半ば諦めつつ、せっかく来たので重い扉をグッと押してみた。すると、天岩戸はゆっくりと開かれ、中から色白の容姿端麗な女性が顔を現した。その引きつり気味の笑顔からは、垢抜けなさとある種の恥じらいが滲み出ていた。間違いない、彼女は伝説のピュア・ノース・コリアン。彼女が喜び組に属しているかどうかは分からない。
店内は客が僕しかおらず、非常に気まずい空気。大体、店の外観を見る限り、客を呼ぶどころか反対に避けているようにしか思えない。テレビには北朝鮮のカラオケが延々流れており、なんとも奇妙で間の抜けた雰囲気だった。そんな中、僕が頼んだのはビビンバと冷麺。全体的に質素な味付けで特筆すべき点はない。そんなことよりも、初めて北朝鮮の人と会った動揺と感動で、ビビンバを混ぜながら箸を何回も落としてしまった。
せっかく街の外れまで来たので、一応観光をすることに。地図を見ると近くにタート・ルアンという金の仏塔があるので歩いて移動した。しかし、開いている時間にも関わらず扉が閉まっており、有料なのに受付すらない。日本では考えられないいい加減さに閉口しながらも、僕は扉を強く押してみた。なんと、開いた。今回は先ほどの北朝鮮レストランのような感動はない。扉は押すと開く、疑いようもない不毛な真理を再発見したのみ。
タート・ルアンの外には、他にもいくつか建造物があった。横になる仏陀の像は見ごたえあり。しかし、ここの敷地全体の外壁がほとんど工事中(というより建設中)でどうしても興醒めしてしまう。どこの国でも事情は同じだと思うが、もう少し観光客の気持ちも考えてほしいところ。
手短に観光を終えた後は、トゥクトゥクに頼らず歩いて戻った。途中、通りがかった店でBeerlaoを買って飲み歩き。異国で昼間から何の目的もなくビール片手にほっつき歩くのは楽しい。この国はみんなのんびり仕事をしているから、この自由人スタイルも決して目立たない。もしかすると実際は目立っていたのかもしれないが、敢えてそうは考えない。
しばらく歩くと、観光スポットを示す看板が見えた。せっかくだから寄って行こうと、矢印の通りに進んでみた。が、残念ながら見えてきたのは昨日見たパトゥサイ。がっかりしながらも、時間はたっぷりあるので再度鑑賞。すると門の内側に受付けがあり、3,000kip(≒30円)で上に行けることが分かった。階段を上がって屋上に出ると、降り注ぐ日差しは一段と強烈だった。高いところから見るヴィエンチャンは、まるで街に思想があるヨーロッパのように整然としていた。
日が落ちかかった夕暮れ。ホテルで十分休憩した僕は再びメコン川へ足を向けた。メコン川沿いには出店がいくつか出ており、たくさんの人が川を眺めて談笑していた。小腹が空いたので、まずクレープ屋でクレープを1つ注文。一緒にクレープを待っていた子供が「これは日本の食べ物なんだよ」と教えてくれた。クレープを食べると、中には魚肉ソーセージのような肉と乾燥肉が入っていた。こんなお惣菜クレープは日本にない。
人々と一緒に道沿いに腰掛け、不思議なクレープを頬張りながらビールを飲んだ。夕暮れの気だるさとメコン川の緩やかな流れが調和していて、この緩やかさがラオスの人々の血の流れなのだと勝手に想像した。僕はもう少し間近でメコン川を見てみようと土手を下りてみた。すると思った以上に地面がぬかるんでいて、サンダルが泥だらけになってしまった。もうボロボロになった愛用のサンダルには、これが最後の思い出になるだろう。
メコン川で感傷に浸るのも束の間、後ろからトランスのような安っぽいダンスミュージックが聞こえてくた。何か始まるのかと公園の方を見ると、人々が集団でダンスをしていた。トランスラジオ体操。道でランニングしている人も多いし、ラオスの人々はきっと運動熱心なのだろう。人々の激しいダンスに目を丸くした僕は、先ほど感じた「メコン川の緩やかな流れはラオス人の血の流れ」という感傷をすぐさまメコン川に洗い流した。平凡なラオスの1日はこうして暮れて行った。