続いて、人民公園というところに行ってみた。ホテルで見た地図の記憶を頼りに歩いたら無事に到着。ちらほらと売店や出店があり、正月休みを満喫する人々で地味に賑わっていた。
公園の右手には辛亥革命関連の記念碑があった。あとで調べたら、鉄道の国有化に抵抗して死んだ人々のための石碑らしい。記念碑の周りでは、静かにバドミントンに興じる人々。そして聞こえてくるのは音割れの酷いカラオケの歌声。平和な成都の正月。
公園左手には大きな池があり、若者たちが和気藹々とボートを漕いでいた。この辺りには飲食店がたくさんあるものの、正月のためどこも休業。椅子が積み上げられている様はさながら現代アート。
人民公園のハイライトはミニ遊園地。設備はお世辞にもきれいとは言えず、ほとんど利用客はいなかった。家族連れはたくさんいるのに、誰も積極的に乗ろうとしない。まるで人々は非日常的な空間である遊園地にいること自体が楽しいかのようだった。そんな中、一番賑わっていたのはお絵かきスペース。成都の人々は素朴。
人民公園の後は、周りの看板を見ながら観光スポットがあると思われる方向へ。街の広さとは裏腹に出歩いている人は少なく、正月休みが街の寂れた雰囲気を増長していた。寒さをしのぎながら道路の清掃をするおばあさんの後姿が切ない。
いくら歩けど、一向に観光スポットらしい場所に巡り合わない。時間も時間なので、そろそろ引き上げようと思った。すると、いかにも中国といった華美な門を偶然通り過ぎた。その名は琴台路。門の奥を見ると遥か遠くまで道が伸びている。僕は期待を膨らませて、滅多に使わない一眼レフを堂々首に提げて通りに入った。
琴台路を歩いて端まで行くと、そこに大きな公園を見つけた。公園の名は百花潭公園。時間があればこの公園をゆっくり散策したかった。しかし、人気のない夜の成都で迷子になることは絶対避けたい。鋭敏な方向感覚に恵まれていない僕は、帰りが不安なのでホテルに戻ること決めた。
川沿いに歩けばホテルに着くはずなのだが、一向にその気配がない。通りすがりの夫婦にホテルの住所と雑な地図を見せたところ、おそらく方向はあっている風な反応だった。
ところで、同じ漢字を使っているにも関わらず、言葉が一切理解できないという現象は実に興味深い。中国人は日本人が漢字を使っていることをどう思っているのだろうか。こんなことを考えているうちに、成都はすっかり迷宮と化してしまった。