人種の坩堝、尖沙咀





昔の香港の空気を吸いたくて、週末は 深水埗(Sham Shui Po)という、初見では呪文のような名前の街に向かうことにした。
移動はホテル前からバスに乗り、まずは尖沙咀へ。ここは白人も黒人も中東系も入り乱れる人種の坩堝だ。
イスラム系の女性たちは全身をベールで包み、見ているこちらまで暑苦しくなる。香港なのだから脱げばいいのにと勝手に思ってしまうが、習慣は身体の不快感を超えるのだろう。
深水埗に降りたら雑踏の海



尖沙咀から深水埗までは電車で1本。駅を降り立つと、目の前には雑踏という雑踏。古びた集合住宅の足元には、小さな屋台がびっしりと詰め込まれていた。
日本の商店街にも同じことが言えるが、屋台の売り物は 一体誰がこんなものを買うのか と疑問に思うものばかり。需要と供給のミステリーに思わず首をひねりながら歩いた。
謎が謎を呼ぶ金物屋のおばあさん

金物を並べているおばあさんは、客がフライパンを手に取っても一向に目を覚まさない。値札もなく、もしかすると店ではなく単におばあさんの家なのではないかと思いたくなる。
ひょっとすると、おばあさんはすでに天へ旅立っていたのかもしれない。もっと斜め上に行けば、おばあさんは蝋人形で、それ自体が売り物だったのかもしれない。そんなシュールな想像をしてしまうほど、深水埗は自由で混沌としている。
香港で交差する人生の断片




当てもなくぶらぶら歩いていると、香港の街角は意外な景色を見せてくれる。
地元の香港人と世間話をしているベール姿のイスラム女性。トラックの荷を降ろしながら上半身裸で汗を流す東南アジア系の男性。そして、工事現場の前に腰を下ろすヘルメット姿の黒人女性。
彼らは一体どんな経緯で香港に辿り着き、どんな思いでこの街で働いているのだろう。雑踏の中にある人生の断片を眺めながら、香港は人々が流れ着く場所なのだととしみじみ思った。
高層マンションを眺めながら感じる香港の熱気


世界中から数えきれないほどの運命が集まって香港が出来ている。生活感あふれるこの街で改めて確認できたのは、そんな当たり前の事実だった。
頭上にそびえる高層マンションを見上げるたびに、そこにどれだけの生活がひしめいているのだろうと想像する。それだけで僕はこの街の熱気に圧倒されるような気持ちになり、香港がまた少し好きになるのだった。