トンレサップ湖へ向かう朝

カンボジア4日目。この日は トンレサップ湖(Tonlé Sap)に行くことにした。
ホテル前で待機していたトゥクトゥクに乗り込んだら、運転手のヘルメットに「Sexually exploit a child, GO TO JAIL (子供を性的に搾取する奴は刑務所に行け)」と書かれているのが見えた。
これには完全同意。運転手と握手をしたい。
衝撃的な水上の暮らし





トンレサップ湖には受付があり、どうやら船での周遊が前提らしい。ただ、困ったことに料金表が見当たらない。
仕方なく近くにいた男性に尋ねると、1人25ドルとの答え。あまりに高いと食い下がった結果、最終的には20ドルに下がった。
交渉で変動する時点で、どうにも怪しい。後から調べたところ、金銭トラブルの多い場所として知られていた。
この湖はただの湖ではなく、乾期になると人々が水上に家を構えて暮らしている。そこで淡水魚を獲り、生計を立てているのだという。
こんな状況を全く想定していなかったため、アンコールワットに匹敵するほどの衝撃を受けた。
船上で見た、もうひとつの現実





およそ1時間半の周遊が終わりに差しかかる頃、別の船がこちらに横付けしてきた。すると突然、ギラついた雰囲気のカンボジア人が乗り込んでくる。
彼は立て板に水のように、「運転手は学生で、お金が必要だからチップをあげてくれ」と繰り返し訴えてきた。もしかすると、日本人客だと見て運転手が呼んだのかもしれない。
その手には乗らないつもりだったが、運転手の感じが良かったこともあり、2ドルのチップを手渡した。
このトンレサップ湖の周遊で、観光の裏にあるカンボジアの現実を、またひとつ垣間見た気がした。
戦争の記憶が眠る果樹園





若干後味の悪いトンレサップ湖を後にして、次は戦争博物館へ向かった。果樹園のような敷地に、戦車や兵器が無造作に点在するシュールな空間だ。
草木が生い茂る園内には、今も無数の地雷が残されているという。ベトナム戦争は、カンボジアにも深い傷跡を残したのだ。
この風景の中で、ふとローズの言葉が蘇る。
「カンボジアはアメリカから最も多くの爆弾を落とされた国なんだ」
トゥクトゥク運転手と笑顔でお別れ

ホテルへ帰ると、トゥクトゥクの運転手と握手を交わして別れた。同世代の彼は、物腰が柔らかく気持ちのいい人物だった。
チェックアウトして外に出ると、彼がまだ客待ちをしているのが見えた。僕たちは静かな一期一会を噛みしめながら、手を振って笑顔で別れた。
飛行機の中で考えたこと


カンボジアには、今も電気が通っていない地域が多く、空からの街灯りが驚くほどまばらだった。そのせいか、ホーチミンの街灯りを見た時は、まるで初めて飛行機から夜景を見た時のような新鮮な感動があった。
短かった5日間の旅。この旅では、楽しいだけではなく、いろいろなことを考えさせられた。
戦争の傷跡に、今も直接的にも間接的にも苦しんでいる人がいるという現実。僕たちは、まだ第二次世界大戦の延長線上にいるのだ。